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2011年11月 の記事リスト

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富士山と駿河湾、伊豆半島を一望――浜石岳(静岡・由比) 

カテゴリ:山行 富士山周辺

Mさんの紹介で、静岡・由比の浜石岳に来ました。富士山と駿河湾、伊豆半島が一望できる素晴らしい眺めです。写真に収まりきれず、とても残念です。今、山頂ですが、これから薩た峠に向かいます。(山頂からのメールから)

1111浜石1

1111浜石2
1111浜石3
1111浜石4

頂上で富士山や駿河湾の雄大な眺めに圧倒されていましたが、よく見ると、南アルプス、北・間・農鳥、荒川~赤石、…全部、真っ白…とってもうれピー!

S拝
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大野山に登った帰りに寄りました。新松田「宴楽」――山から下りて入る店27 

カテゴリ:山から下りて入る店

「くいもの市場 宴楽 新松田店」

丹沢・大野山に登った帰りに寄った、新松田駅近くの店です。JR松田駅の駅員さんに「近くに居酒屋は?」と聞いたら教えてくれました。メンバーは10人。この日初めて会ったメンバーとも、酒がすすむにつれてすっかり打ち解けて、山の話に大いに花が咲きました。

111123刺し盛り
 ↑刺し盛りです。

魚料理が中心で、松田ハイボールとか湘南ハイボールとか、横浜ハイボール、横須賀ハイボール…とハイボールの種類がたくさんありました。みんなで飲み比べました。ところでメニューにあって気になったのはマッコリのとなりの「モッコリ」。ん? 注文しなかったから分からないけど、盛りのいいマッコリ、のことなのかな?

酒を飲まない人が何人かいたせいか、割り勘で一人あたり2500円くらいでした。小ぎれいでわりと広めの店。ただ、店員が少ないのか、注文などへの対応がちょっと遅い感じでした。

あとで調べたら、秦野駅前の「しゃかりき」の姉妹店なのだとか。運営するエムエスエンタープライズは伊勢原~新松田で6軒の居酒屋をやっているそうなので、いわばローカルチェーン店、ですね。

【店の名】くいもの市場 宴楽 新松田店
【所在地】〒258-0003 神奈川県足柄上郡松田町松田惣領1156-4
     ※新松田駅の交番の先の踏切を渡って、すぐ左手、中華料理店のとなり。
     電話0465-84-5391
【山 域】西丹沢、大野山、高松山、ほか
【営業時間】17:00~02:00(L.O.01:00)無休

はせ

↓写真あり





11人でにぎやかに登り、石狩鍋を作って食べました――丹沢・大野山 

カテゴリ:山行 丹沢

11月23日、大野山に登りました。メンバーは11人。ヤマニテの5人に加え、ゲストとして、美人姉妹とその母(近所の方にも間違われるくらいお姉さんの方によく似た若々しい方でした)のM本家の女性3人、そしてその他男3人。

なんでそういうメンバーになったのかというのは、説明が長くなるので省きますが、キーパーソンは「その他」に分類したT川さんでした(T川さんは、会員のIさんとは小学校の、M本母とは大学の同級生)。

JR御殿場線・谷峨駅に9時45分集合。知らない者同士が多いのでざっと自己紹介した後、トイレタイムをとって10時出発。

国道246号を陸橋でまたいで渡り、田んぼの中の道を進んで青い吊り橋を渡ると、ジグザグに登る車道を歩きます。体が温まってきます。

民家のわきを細い道に入り、いよいよ山登りに。今日はてっぺんにすこしだけ白く雪をまとった富士山がよく見えます。登っていくにしたがって裾野まで姿を表し、迫力が増して行きます。

頼朝桜、トイレを通過して、さらに登って行くと、二度目の車道との交差地点で果物類の無人販売所が。ミカンやユズ、ジャム、一味唐辛子などが置いてあります。安いしどれもおいしそう。ここは帰路には通らないので買うなら今なのですが、まだ登りは続くので荷物になるからと皆買いません。T川さんが頂上で食べようとミカンを一袋購入(300円)。私は買わなかったのですが、歩き始めてしばらくして「ああ、やっぱり買っておけば良かったかな」とくよくよ。買わずに後悔するより買って後悔、一期一会、などの言葉が浮かびます。

111123大野山からの富士山1
 ↑大野山まであと少し(634mくらい)の地点からの富士山の眺め。左端のとんがりは愛鷹山の越前岳

山頂まであと15分という地点のあずま屋で最後の休憩。ここで、山頂で作るなべ料理の材料とコッヘル、コンロ類を持ったヤマニテ会員5人が先に頂上に向かいます。

山頂の周辺は牧場になっていて、なだらかな草原状。今は牛の姿はないけど、 なかなかいい雰囲気です。見渡せば富士山が裾野までよく見え、その左側に愛鷹山の双耳峰、さらに金時山、神山、明神・明星…の箱根連山。途中追い越した小学生の女の子3人、カラータイツに山スカート、カラフルな登山靴で、一丁前の山ガール風です。友達同士のお父さん2人が連れて来たようです。見ているだけでこっちが楽しくなるような感じでした。

山頂に着いて、すぐにシートを敷き鍋を出して湯を沸かします。そのうちに後続の部隊がやってきました。

今回の鍋の具は、タマネギ、ジャガイモ、キャベツ、シメジ、エノキ、シイタケ、シャケ、鶏団子、ホタテ、豆腐…(ほかにもあったかな)。味付けは昆布だしに味噌、みりん、酒。

「板長」ハーリー渾身の石狩鍋。いつにも増して具の多い、おいしい逸品が出来上がりました。ゲストの皆さんにも大好評。控えめな可愛いサイズのお椀持参のM本家の皆さんも、大ぶりなサイズのお椀持参のT川さんも、おかわりしてました。

鍋にはさらにうどんを投入、おなかいっぱい食べました。そして食後にはミカンとコーヒー。

大室山、檜洞丸、蛭ケ岳、塔ノ岳…など丹沢の山々の展望を改めて堪能し、みんなで記念撮影してから下りにかかります。

下りは山北駅方面に向かいます。急な階段状の道を過ぎると、杉林を抜け、広葉樹林の中のトラバースぎみの道。さらに尾根歩きを経て車道に合流。あとはひたすら舗道歩きが続きます。

国道246号近くまで下ってきて、沿道の立派なミカンの木のわきに差し掛かったところで民家の前にいた婦人に呼び止められました。ミカンを分けてくれると言います。ありがたくいただくことにしました。甘すぎず、適度な酸味があって、ミカンらしいミカンだとみんなに好評でした。

ここでポツリと雨。あんなに晴れていた空がいつの間にか雲に覆われています。婦人にお礼を言って先を急ぎます。3時半、風呂に入らず帰るというヒロミさんと駅近くで別れ、我々10人は山北町営「さくらの湯」(2時間400円)へ。

山の疲れを流してさっぱりしたところで、電車で松田まで出て、駅員に教えてもらった居酒屋「宴楽」で反省交流会に突入。今日の山、これから登る山について大いに語り合ったのでした。ツッキーの友達のI橋君、今回ツッキーがいないのに参加してくれて、飲み会でも楽しく交流しました。

あー、楽しかった。みなさん、またぜひ山に行きましょうね。

はせ


山のふもとでは今も現役? なつかしのホーロー看板――昭和も遠くなりにけり 

カテゴリ:街ニテ

山の行き帰り、麓の村で、民家の壁なんかに今でも見かけるホーロー看板。「レトロ」を狙って、都会の駄菓子屋やラーメン屋の店先なんかでもわざと貼ってあるのをたまに見かけることがあります。

でも、こういうのを見て「懐かしい」と思うのは、一定の年代以上なのでしょうねえ。「昭和」も終わって23年。今の「平成」ももうじき終焉なのかと思うと、我ながら来し方に思いめぐらせ感慨深いものがあります。

南足柄市の「郷土資料館」に行ってきました。「昭和レトロ展」というのをやっていて、その中で、下の写真のような看板を展示していました。あなたは「懐かしい」と思う派でしょうか? それとも何これ?派でしょうか。

111120ホーロー1
↑「浪花千栄子でございます」

111120ホーロー2
↑「おいしいとメガネが落ちるんですよ」

111120ホーロー3

ホーロー看板は、明治21年(1888)~22年ころ誕生したといわれ、主に屋外掲示用として光沢のある塗装や印刷で仕上げられた鉄製看板のことです。明治~昭和中期まで広告としてホーロー看板が主流になったのは、当時の商品がモデルチェンジの期間が長く、ホーロー看板を貼ると当分の間貼り替える必要がないためでした。

昭和50年代になると、新商品の生まれるサイクルが早くなったことや、住宅事情により貼る場所がなくなったこと、そして新聞やテレビなどのメディアの普及により、ホーロー看板は終焉を迎えることになりました。


以上、展示の説明より。

111120ボンカレー
↑このパッケージのボンカレーは、今でも沖縄限定で売っているそうです。でも、なんで沖縄だけなんだろ…。

はせ

紅葉の時期だからか? 平日なのににぎわっていました――大山 

カテゴリ:山行 大山

11月14日の月曜日、休みを取っていたので、一人で大山に登ってきました。

111114大山のシカ
 ↑大山の山頂付近にいたシカ


丹沢の、登ったことのない山に、と思っていたのですが、一昨日西丹沢・檜洞丸に登ったばかりでもあり、また朝洗濯などしてのんびりしていて遅くなったこともあり、結局いつもの大山に行くことにしました。

ところで朝、家で、普段は見ないNHKの「イノッチ」とか有働アナが出ている番組をなにげなく見ていたら「エア恋愛」についてやっていました。主婦の妄想の話。杉本彩さんがゲスト。思わず見入ってしまいました。

そんなこんなで出発が11時と遅くなったのでした。

ヤビツ峠に向かう車の中で、カーステレオで落語を聴きながら行きました。大山だから「大山詣り」でもと思ったのですが(よく聞くんです)、録音したまま聞いてなかった円生の「おさん茂兵衛」を聞きました。これがなかなか良かった。三遊亭円朝作。人間描写が深い! 話の運び方といい間といい、うーん、円生、すごい。

ヤビツ峠の駐車場は、平日なのにほぼ満車の状態。紅葉の時期だからでしょうか、結構な数の登山者がいました。特に本坂と合流してからは人がどっと増えました。

60代以降の人ばかりでなく、若い方も目立ちます。若いカップルも何組かいて、「だめ~、もう、歩けな~い」と甘い声を出す女性の手を男性が引っ張ってあげています。ほほえましいというか、なんというか…。

山頂には30人ほどがいました。トイレ前の広場にいた人たちも合わせると40~50人くらいになる勘定でしょうか。

富士山が全く見えないのはもちろん、表尾根も、はっきり見えるのは二ノ塔、三ノ塔と三峰くらいで、展望は今ひとつでした。

トイレの裏手のパラボラアンテナの脇でなにやら工事をしていました。ショベルカーが2台も動いていて本格的。新たなアンテナを建てようというのでしょうか。

ヤビツ峠まで下りてきて、落語の続きを聴きながら車で下ります。女嫌いの手代・茂兵衛が、主人の使いで旅の途中、上尾の宿の茶店で人妻おさんに一目ぼれ。土地の実力者、三婦(さぶ)に「話をするだけでも…」と仲介を頼むのですが…。茂兵衛一世一代の大恋愛。あのとき一歩を踏み出さず「エア恋愛」で止めておけば、後に三婦が切腹、といった事態には至らなかったのではないでしょうか。人間の業のようなものを感じさせる一席でした。

下りてきて、渋沢のスーパー銭湯「湯花楽」で汗を流して帰りました。疲れが取れました。あー、いい休日だった。

はせ

↓続きに写真あり


期待された展望はイマイチ。でもいい汗かきました――西丹沢・檜洞丸 

カテゴリ:山行 丹沢

11月12日の土曜日、西丹沢の檜洞丸に登りました。リーダー=はせ、ヒロミ、ヤマ、ハーリー、Sの5人。全員50代、全員男です。

111112山頂近くの紅葉
↑山頂付近の紅葉
111113下山
↑山頂近くを歩く一行

このブログの以前の記事によると、檜洞丸に登るのは私は今回が8回目。以前は西丹沢というと遠くて近寄りがたく敬遠していたのですが、秦野に越してきた6年前から年に1回は登っています。昨年はシロヤシオツツジの開花期を狙って5月に2回登りました(2回目に見事な花を見ることができました)。

今年も5月に計画を考えていたのですが、諸事情で中止になり、そのままになっていました。今年全く登らないのもつまらないな、ということで今回計画したのでした。急な提起だったにもかかわらず、4人の方に計画に乗っていただき、にぎやかな山行となりました。

朝8時にJR御殿場線・松田駅北口集合。昨日の雨が高山では雪だったようで、富士山の上3分の1が白くなっているのが良く見えました。やはり富士山はこうでなくっちゃ。今日は檜洞丸の上からも富士山の展望が期待できそうです。

私の車に乗り込み、登山基地である西丹沢自然教室を目指します。昨夜参加表明をしたSさんは「自分の車で来る」とのこと。夜用事があるため先に登って先に下りて来たいので、別パーティーということにして山の上で会いましょう、ということだったのですが、途中連絡が入って「出発が遅くなったので西丹沢自然教室に9時くらいに着く」とのこと。

我々は、意外と早く8時45分くらいには到着しました。待つことしばしで9時過ぎにSさんが到着。全員そろったところで出発、となりました。

ゴーラ沢出合までは広葉樹林帯の明るい、比較的平坦な道を1時間ほどのアルバイト。ここからが本格的な山登りになります。のっけから急なコンクリの階段。

50分ほどで展望園地。晴れていれば富士山の最初のビューポイントとなるところなので、楽しみにしていたのですが、いつの間にやら雲がかかっていて、富士山はまったく見えなくなっていました。朝はあんなに良く見えていたのに、残念。

紅葉もこれからなのでしょうか、時々ハッとするようなきれいな紅葉や黄葉が見られるものの、全般的に今ひとつな感じです。

ここのところ毎週山に行っていてこの日で11週連続登山になるというヒロミさん、今日は体調がいまいちで調子が出ないといいます。私も、急登にあえぎあえぎ登るうちに腿の内側がつりそうになってきて、絶好調とはいえないコンディションでした。最初のうちあまり水を飲まなかったのがよくなかったのかもしれません。

上に行くにしたがって雲が多くなり、花の時期には両側が見事な花で覆われる上部の木の階段あたりに来たところで一気にガスに包まれます。近くの山も含めてまったく展望が得られなくなってしまいました。

箒沢方面への尾根との分岐を過ぎ、新緑のころにはコバイケイソウの緑で覆われる木道を進んでいくと、ちょっとの登りで檜洞丸山頂。12時半近くになっていました。登山者で結構にぎわっています。

やあやあ、お疲れ様と言い合い、おのおのカップ麺やおにぎり、弁当などを出して昼食に。雲の間に見え隠れしている塔ノ岳~蛭ケ岳方面の展望を、あの山がああだこうだといいながらコーヒーを沸かし、飲みます。下界ではこの時期にしては暖かい20度くらいになると言っていましたが、1601mの山頂はさすがに肌寒いくらいです。

下山は往路を戻ります。快調に下りますが、半分くらいまで下ったところで、また腿の内側がつりそうになってしまいました。あれれ、どうしたことだろう。今までこんなことなかったのに。しばらく休憩して水を飲んだら治まったので、水分不足だったのかなあ。それとも日ごろの運動不足と栄養不足?

西丹沢自然教室には3時半ごろ到着。中川温泉「ぶなの湯」に立ち寄り、ここで先を急ぐSさんとはお別れ。我々4人は秦野に出て、駅前の「庄や」で一杯やって帰りました。

はせ

↓続きで写真をどうぞ

山登りというより「山旅」――34年ぶり、“弟子”を連れての朝日連峰縦走 

カテゴリ:山行 東北

<朝日連峰 縦走報告>
期間:2011年10月6~10日
参加:師匠(S)と弟子(T)
行程:古寺鉱泉→古寺山→小朝日岳→大朝日岳→西朝日岳→三方境→竜門山→狐穴小屋→以東岳→オツボ峰→大鳥小屋→泡滝ダム

●10月6日(木) 移動日 立川→国立府中IC→三郷IC→寒河江IC→やきとり柳川 山形県朝日町宮宿

昼前、ヤマニテに計画書送る。天候が回復するかどうか、ギリギリまで決断を延ばした。

34年ぶりの朝日縦走。東北では飯豊と並んで最も厳しい山で、学生時代は春夏秋冬10回ぐらい訪れた。

一番最初の縦走は大学2年の秋。登山技術が未熟で、以東岳~大鳥池の下山で、両足の爪を全部剥がし、同行者はザック麻痺で山行後1年以上、両手の腕が上がらず指も動かない症状に苦しみ、食事はパンの耳で済ます生活を強いられた。痛恨の山である。

通常の交通機関で行けば麓の人里から登山口まで6-7時間かかる。奥深く、急登が続く、しかも果てしなく長い行程を歩かなければならない本物の山である。

今回はどのように迎えてくれるのであろうか。期待と不安が入り交じる。

少々高いが、車の代行を頼み、古寺で降ろしてもらったあと下山口の泡滝まで回してもらう。

夕方、家に戻り、そろそろ出掛けようとしていたところに、弟子からメール。

「オレも行く」「冗談でしょ。もう出発するんだよ」

今回は山が厳しい上に行程が長く日数も金もかかる。昨年も同時期に同じ山行計画を出して同行なし、今年は先週の芋煮会で皆に声をかけても無反応だったので、単独行と考えていた。

「準備はできてるの?」
「できてる。寝袋貸して」

「だけど、あんた、山に泊まったことないんだろ。小屋は暗くて寒くて、あんたの嫌いなポットン便所だぞ。しかも荷は重いし、あんたがこれまで経験したことないような急登が続く…」「行く!頑張る!」

しょうがない。今晩仮眠させてもらう代行運転のK木さんが経営する居酒屋に到着が遅れる旨、連絡し、食糧を2人分用意する。

あわてて家を飛び出そうとすると、今度は電話。

「着替えはどうするの?化粧はどこでできるの?」
「靴下のみ。山に来て化粧なんかするな!」

「ええーっ、パンツは?」
「なし。とにかく1グラムでも軽くすることを考えろ。行動食は外箱など全部はずすこと」

「じゃあ、3日も4日も着替えなし…信じられない。汚なぁーい」
「当たり前だ。ばかやろう。何日も山に入ってどろどろのぐちゃぐちゃになるのが山男だ!」

「あたしは一応、女なんだけど…」「ばかやろう!山に女も男もクソも味噌もあるか!とっとと用意して出てこい。もう時間がない。」

K木さんは起きて待っていてくれるというが、代行とは別に好意で仮眠させてくれるので、いくら遅くても12時までに着きたい。こちらも初日に8時間行動で標高差1300メートルをアップダウンしながら登るので、できるだけ体を休めたい。

ところが夕方の首都高は混む。立川から三郷にたどり着くまで4時間もかかる。東北道はいつもの安全運転。

「師匠、危ない」「ばかやろう!寝てろ!起きてても目つむってろ!」

この弟子はいまだS車に乗るコツを習得していない。いまだに教習所の車のように、ありもしない補助ブレーキを一生懸命踏む。

国見の先で山形道に入り、寒河江ICで降りる。柳川到着は11:53。何とか目標通りに着けた。

K木さんは奥さんも起きて待っていてくれた。ビール飲んで、すぐ寝ようとしたが、奥さんが次々とキノコ料理を出してくれる。舞茸の天ぷら、特にブナシメジが甘く最高!こんなことだったら、途中でおにぎりなんか食うんじゃなかった、と二人で顔を見合わす。

もう7日になっている。朝6時出発を考えていたが、不安と緊張で心なしか青ざめた表情の弟子を見て、1時間遅らせることとする。

↓続きをご覧ください。


大倉のバス停近くにあるそばの名店「手打そば さか間」(丹沢・大倉)――山から下りて入る店26 

カテゴリ:山から下りて入る店

丹沢表尾根の登山口、大倉のバス停(ロータリー)の真ん前にある店です。むかしの山小屋を改造して作った、雰囲気のいい店。味も評判で、登山帰りの客だけでなく遠くからわざわざ食べに来る人も多い、なかなかの繁盛店です。

11月のある日曜日、Aさんと私で、遅い昼食を食べに立ち寄りました。そのあと寄(やどりぎ)へ回って宮地山に途中まで登ったので、「山から下りて」でなく「山に登る前に」入った店、ということになります。

111113さか間6外観b (2)

111113さか間4せいろ大盛り
↑せいろの大盛り。930円。

【店の名】手打そば さか間
【所在地】〒259‐1304 神奈川県秦野市堀山下1291(県立戸川公園前)
     電話(0463)89-2533 
【山 域】丹沢、表尾根、塔ノ岳、鍋割山ほか
【営業時間】11:00~18:00 定休日=毎週木曜、第三水曜
     http://www.sakama.co.jp/
はせ

↓続きに写真あり

3000mの青い空! 稜線にいるのは私たちだけ! ――後立山連峰・唐松岳~五龍岳 

カテゴリ:山行 北アルプス

唐松・五龍岳山行(11月3~5日)の報告です。リーダーS、そしてTの二人。

 3日:八方尾根~唐松小屋(テント泊)
 4日:唐松小屋~五竜岳~唐松小屋(テント泊)
 5日:唐松小屋~八方尾根~リフトの下歩いて下りる

初日
八方尾根のゆるい登りを終え、唐松小屋到着。
リフト営業最終日の今日、時折小雨がぱらつきガスで全く視界がきかない山にはもう誰もいない。

13:15、固く閉ざされ静まりかえった唐松小屋を出発。五竜小屋まで残り2時間半。

歩き始めてすぐ牛首の鎖場。地図で危険な岩場があるらしいのは承知していたが…まさか、こんなとは…トホホ…(涙)

「下を見るな!」S氏の怒鳴り声に全神経を岩と鎖だけに集中する。20kgの背中のザックに振り落とされそうで岩にしがみつく。

3メールくらい進んだところでS氏が後ろを振り返る。「引き返そうか?」意外な言葉に氏の背中越しに前方を見ると、濡れた岩の真下に奈落の底のように白々とガスが渦巻いている。

突然恐怖感に襲われ足が小刻みに震えだす。何かに追われるように引き返す。

「嫌な感じがした。」ぽつりとS氏。

この時点でルート変更を余儀なくされ、14:00唐松小屋にテント設営。

風を避けるため選んだ場所が小屋の便漕の真上らしいと気付いたのは張り終えたあと。ダサすぎる。が、そんなことを言ってる場合じゃない。

時折マンホールからなにやら臭ってくるテントの中でS氏から明日の指示。

明朝、天気が回復せず岩が濡れていたら山を下りる。晴れて岩が完全に乾いていたら唐松にテントを置いて非常用の荷だけ背負い五竜往復。

うかない気持ちのまま軽くウィスキーを飲んで17時就寝。

唐松1

2日目

「おーい、晴れたぞ。」S氏の声に目を覚まし、テントの中から外を覗くと「おおっーー!」月明かりの中に唐松岳が黒々とそびえ、遠くには後ろ立山連峰のシルエットが連なっている。

まだ暗いテントの外に出ると、夜空一面に星が瞬いている。

岩は完全に乾いている。…行くしかない。

実は私は高所恐怖症だ。観覧車を避け続けてこれまで生きてきた。しかし、こうなってはやるしかない。S氏がテントの向こうでうんこをしている間に決意する。

DSC_0831唐松1

7:43出発。鎖場を抜けるまでおよそ30分。決して下は見ないこと。3点支持で進むこと。岩と鎖に集中する。非常用の荷だけ入った小ぶりのザックは20kgの荷を経験したあとでは、子供のリュックサックのようだ。

軽くなった体で猿のように両手両足を使ってそろりそろり岩を這って行く。

いくつかの鎖場を通過した後でふいに「転落多発」という小さな立て札が目に飛びこむ。

鎖はなし。踏み外したら真っ逆さまに転落。「ダメかもしれない。」とうとう口に出る。「よし、じゃあ俺が様子を見てくる。」

S氏の軽々と登って行く姿を見ているとやれるかもしれない、と思えてくる。…やってみよう。

しかし、途中まで這い上がった所で気付く。男と女では手足の長さも岩を掴む手の大きさも違う。ホールドとなるべき岩が届きそうもない。掴めそうにない。

上へ進めず下へも戻れない。恐怖で体が固まりそうになった瞬間、体の底から「ちくしょう!」と思う。

岩を掴んで体を引きずり上げる。

そこから五竜小屋までは穏やかな尾根歩きが続く。

上空5000メートルまで暖かい空気が流れこむとの予報どおり、稜線に春風のような暖かい風が吹きぬける。

雲ひとつない青い空が輝いている。3000メートルの空はこんなに青いんだ。ハイマツの緑。澄んだ空気。明るい稜線。

これほどに美しい今日、もしかしたらこの稜線にいるのは私たちだけだろうか?!

五竜小屋に着く。やはり誰ひとりいない。山は静寂に満ちている。

小屋の前の陽だまりで暖かい紅茶を飲みながら五竜岳を仰ぎ見る。

ここから五竜岳まで1時間。切れ落ちる山肌につけられた道は細く狭く、所々山肌に茶色い筋をつけて崩壊している。日陰には雪がべったりついている。バランスを崩すと果てしなく転がり落ちて行くだろう。そしてなによりルート変更したことで再び来た道を戻らなければらない。

唐松2

日帰りハイキング専門に20数年の軟弱者の私もやはりヘリコプターの世話にはなりたくない。恐怖に取り憑かれないように気合いを入れ直す。

五竜岳、そして今日の最終目前地である唐松小屋に戻るまで緊張をほどかないこと。

15:00
「おーい、鎖場が終わったぞぉー!」S氏の明るい声。半信半疑で岩の向こうを見ると、唐松小屋が見える。うおぉーー!本当だ。うそじゃない。言葉にできない。踊りだしそう。

「よし、唐松岳山頂で乾杯だ。」隊長の言葉にいそいそウキウキとウィスキーとつまみを準備する。陽が傾き始めた唐松岳山頂で、私たちのあとをピョコピョコつかず離れずついて来た岩ヒバリと3人で乾杯!

DSC_0833唐松2

まだ青い夕空に飛行機雲が2筋伸びている。空気は澄み渡り、四方、遥か彼方の山の連なりまで見渡せる。「あれは剣、あれは立山、あれは槍穗…」S氏の知っているたくさんの山たち。私が知らないたくさんの山たち。そして私たちのほかに誰一人いない静寂。

「あんた、運がいいぞ!」S氏は山を始めてかれこれ40年、こんな北アルプスは後にも先にも見たことがないと涙を流さんばかりである。興奮してシャッターを押しまくっている。

時間はたくさんある。日が落ちるまでウィスキーを飲みながら山を眺めていよう。

やがて黒い大きな影となった唐松岳の向こう、シルエットとなった剣岳の肩に日が落ち、柿色の空に金星が昇る。遠くに見える槍穗と穂高の前にはかなげに町の灯がちらちら揺れている。

DSC_0835唐松3

写真 (25)剣に沈む夕日

空を見上げると月が煌々と輝き、デンとそびえる五竜岳をひときわ大きく照らしている。窪みの雪をかき集めながらテントに戻る頃には満天の星。若い頃に読んだ山岳小説で想像した景色が本当に目の前に広がっている。

さて、酒飲みの私たちふたりである。朝日縦走の折の反省を踏まえ、前回の時のような見苦しいいさかいを起こさないように、今回は十分な量の酒を荷揚げしている。とは言え、標高の高い山の上。また、岩と鎖から解き放たれた安心感が後押しし、いくばくも飲まないうちにすっかりヨッパライとなる。

ろうそくの灯が揺れるテントの中で、S氏が口ずさんだ雪山讃歌を合唱したのに調子を得、続いて山男の歌、遠く故郷九州の坊ガヅル讃歌を独唱。

…山の歌はこれくらいしかわからない。で、次は思いつくかぎりのクリスマスソング3曲を独唱。まっ赤なお鼻のトナカイさん、ママがサンタにキスをした、きよしこの夜。

計6曲をエンドレステープのように歌い続ける。
延々歌い続ける。S氏の迷惑などお構いなしで夜が更けるまで歌い続ける。

最初は所々合唱してくれたS氏だったが、やがて寡黙になり(うるさい!と言われたような気もする。)雪をコンロで溶かしては水を作り、せっせと空のペットボトルに詰め始める。明日は下山するだけだというのにこんなにたくさんの水をどうするんだろう?

酔った頭で考える。…酒豪のS氏もあれはあれで酔っているのかもしれない。

その夜は風に揺れるテントの中で岩と鎖の夢にうなされる。

3日目
目が覚めてテントから外を覗くと、一晩のうちに立山が白くなっている。風向きが変わり雲に覆われ始めた八方尾根を下る。

ルートを変更したためリフト下の急な草の斜面を3つ分下りなければならない。2つ分下りたころには買ったばかりの慣れない冬山用の靴ですっかり足を痛めてしまう。遭難者のようにヨロヨロとリフトの下を下りていると、3つ目のリフト乗り場で作業をしていたおじさんたちが作業を中断し、歩けばゆうに1時間は超える道を車で麓まで下ろしてくれる。

最後に人の情けに触れて山行は終了。

(T)

頂上には物の見方を変えてくれる何かがある――不破哲三「私の南アルプス」 

カテゴリ:本の紹介

「私の南アルプス」不破哲三著、ヤマケイ文庫、880円+税

NEOBK-1008850[1]

故橋本龍太郎元首相は麻布高校時代に山岳部だったそうで、政治家になってからヒマラヤなどの海外遠征登山隊の総隊長も務めていました(名誉職的なものだったのでしょうが)。 そういえば昔、相模湖の駅前でハイキングの格好をした元社会党委員長の石橋政嗣さんを見かけたことがあります。石老山あたりに登ろうとしていたのかな。しかし山を登る政治家ってあまり多くはなさそうですよね。ゴルフをやる人はたくさんいるだろうけど。

本書の著者、不破哲三さんは日本共産党の委員長だったころ、53歳で登山靴を買ってから次々と丹沢の山々を踏破。また毎年お盆休みに南アルプスに挑戦し、南アルプスの三千m峰全山を完登しました。

この本は『山と渓谷』誌に載った文章を中心にまとめた山行記です。単行本で出たときも読みましたが、今度ヤマケイ文庫に入ったのを機にまた読んでみました。

実は私、15、6年前、南アルプスの北岳~間ノ岳~農鳥岳の白根三山を縦走しているときに、間ノ岳の手前で不破哲三さんとすれ違ったことがあります。立ち止まってふたことみこと言葉を交わしたのですが、後に『山と渓谷』に不破さんの山行記が載ったとき、その私との出会いがどう描かれているか、ドキドキしながら読んだ記憶があります。

で、私が不破さんと会った該当部分を本書から引用すると、

「十時五十分、下りに向かう。アップダウンを繰り返しながらガレ場や岩場を歩き、一時間あまりで北岳山荘前に着いた。」

うーん。まあ、こんなもんですか。とほほ。

昔、子供向けのテレビ番組「ウゴウゴ・ルーガ」に「やまのぼりのえらいひと」役で出た時、著者がしゃべった内容が再録されています。山登りの魅力と本質を言い当てていて面白いと思いました。

タイトルとテーマだけ引用すると――、

第1話「なぜ山にのぼるの」やまはじぶんのはっけん。
第2話「やまのぼりにうまいへたはない」やまもじんせいもいっぽいっぽのつみかさねがだいじ。
第3話「やまをのぼる」ひとはしぜんとのかかわりでいきている。
第4話「やまのちょうじょうにはなにがあるの?」ちょうじょうにはもののみかたをかえてくれるなにかがある。
第5話「やまをおりるゆうき」やまをおりるゆうきはあたらしいやまにのぼるゆうき。

「山は自分の発見」「山を下りる勇気は新しい山に登る勇気」。…いいなぁ。私もせっせと自分を発見しに山に出かけることにしよっと。

はせ

盛り上がりました! ヤマニテ恒例、公認オフィシャル行事――高尾のいも煮会 

カテゴリ:山行 中央線沿線

11月3日に、ヤマニテ恒例いも煮会が高尾山のふもとで開かれました。買い出し組、直行組、ハイキング組と分かれて計11人が参加。私はハイキング組に参加しました。

111103高尾紅葉
 ↑少し色づきかけた高尾の林

ハイキング組は、ヒロミさんをリーダーにヤマ、ツッキー、つるちゃん、M、はせの6人。寝坊して7時半に起きたというMさんも9時過ぎには到着しました(さすが)。

相変わらず高尾山口の駅前はすご~い人出でした。しかしリフト&ケーブル駅を横目に琵琶滝コースへと入り、かすかに色づき始めた林の中の道に分け入る頃にはハイカーの数も減ってきて、去年のような押し合いへし合い状態ではありませんでした。紅葉の時期にはまだ早いのと、時間も今回いつもより早めだったせいでしょうか。

頂上直下のトイレは工事中で、跡形もなく解体されていました。おそらく今の超たくさんのハイカーの使用にも耐え得る、立派な新トイレができるのでしょう。

山頂まではあと50歩というところでしたが、ピークは踏まず、4号路をいも煮会会場の日影沢キャンプ場に向かって下ります。心は「いも煮鍋」、そしてピール&越の寒梅&ワインへと先走ります。途中、ツッキーとつるちゃんがツルッと滑ってコケちゃいましたが、大事には至らず、え? もう着いたの? というくらい早く日影沢に到着しました。

日影沢キャンプ場は、沢沿いの明るく気持ちいいキャンプ場です。林野庁が管理する国営の施設なのだそうで、薪も含めて無料。今回は次の日が平日なので空いており、静かでしたが、いつもの休日は大にぎわい。どうか事業仕分けなどで民営化されたり廃止されたりしないことを祈ります。

ほどなく買い出し組のSさん、ハーリー、IさんがSさんの車で到着。そしてJINさんがワインを抱えて合流。みんなでいも煮鍋や焼き物の仕度にかかります。そしてさきごろ病気で入院していたSさんの快気祝いを兼ねて乾杯!をしたのですが、あれ?Nekoさんがまだ来てない。「Nekoは来ると言ったら来る男だ!」とヤマさん。なんだか「走れメロ」スみたいですが、でも誰も「来ない」とは言ってなかったですわな。

とそのうちNekoさんがママチャリ(!)で到着。居住地から2時間かけて来たのだそうです。Nekoさん持参の福島の銘酒(待ってました!)も揃って、改めて乾杯!となりました。

醤油ベースの味付け、牛肉で作る、正調本格・山形風いも煮鍋(S料理長)もおいしかったですが、牛タンなどの焼き物も美味。ビール&ワイン&越乃寒梅&田村(福島の酒)が進む進む…。

私は野暮用があって先に失礼したのですが、その後の盛り上がりようは想像にかたくないです。帰り、Nekoさんは自転車でコケて車にひかれそうになったとか。相当きこし召していらっしゃったのでしょうか。危ない危ない。山でも平地でも、安全第一で行きましょう。

はせ

↓続きに写真あり

団塊おやじたち3人と登ってきました――大山 

カテゴリ:山行 大山

10月30日、大山に登ってきました。今回は私の職場のOBら60代男性3人と一緒に登りました。アラ還というか、団塊おやじというか、前期高齢者というか…。でもとにかくみなさん元気元気。まあ、かくいう私も五十路。中高年というくくりでは一緒なんですが、その中ではいわば「青年部」です。そんな私もたじたじというくらいみんな元気でした。

111030大山からの富士2
 ↑なかなかきれいに見えましたが、やはり雪化粧をしないといまいちですね、富士山。

ヤビツ峠からイタツミ尾根を登って、雷ノ峰尾根~見晴台~下社~女坂と下ってきました。紅葉はこれからという感じでしたが、ところどころ色づき始めていて、いい感じでした。山頂は山ガールやカップル、ファミリー、その他でなかなかのにぎわい。富士山や、表尾根~蛭ケ岳の展望も良好でした。

見晴台あたりで少し雨がパラついてきましたが、雨具を出すほどではなく、満足の山歩きが出来ました。こま参道のそば屋で軽く一杯やって帰りました。

はせ

↓続きに写真あり


シベリアの雪男は「95%存在する」。では、ヒマラヤの雪男は?――角幡唯介「雪男は向こうからやって来た」 

カテゴリ:本の紹介

「雪男は向こうからやって来た」角幡唯介著、集英社刊、1,680円

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題名がいいですよね。普通につければ「雪男に憑かれた男たち」といった感じになるのでしょうが、「雪男は向こうからやって来た」といわれると「なんだなんだ?」と思わされます。

ダウラギリⅣ峰の登山口にあたるコーナボン谷での08年の雪男探索隊。著者は元の職場である朝日新聞の先輩記者に頼まれて参加することになります。しかし「雪男など、申し訳ないが、これまで生きてきて気になったことなど一度もなかった」と著者。この辺り、私も含め平均的な日本人の普通の認識ですよね。

しかし隊長の登山家・高橋好輝の話を聞き、調べていくうちに、意外や「目撃した」という人が多いことを知ります。しかも登山家の芳野満彦、田部井淳子、小西浩文、といった有名人が「見た」と言っていると知って、荒唐無稽なほら話とは言い切れないという認識に変わっていきます。

芳野や田部井への取材を経て(田部井は「雪男を見た時の様子を、まるで近所でぼやでも見た時のように気軽に話してくれたのである」)、雪男は存在するかもしれないと思う側の人間に著者も徐々に変わっていくのですが、そのあたりの変化の過程が丁寧に描かれ、読者も一緒に「そちら側」へと連れて行かれるのです。

吸血ヒルが跳梁跋扈する密林を抜けてたどり着いたヒマラヤ奥地での雪男探索。雪男の出現を待つ日々はともすれば単調で退屈な描写になりがちだと思うのですが、飽きさせないのは著者の力量でしょう。また、いる・いないの結論よりも、「いる」と信じた男たちに興味を持ち、その人生というか生きざまに踏み込んでいきます。それは隊長の高橋であり、過去6度の単独探索行の末雪崩に巻き込まれ86年に死んだ鈴木紀夫です。

「彼らとて最初から雪男を探そうとか、死ぬまで捜索を続けようとか思っていたわけではなかった。さまざまな局面で思ってもみなかったさまざまな現象に出くわしてしまい、放置できなくなったのが雪男だった。人間には時折、ふとしたささいな出来事がきっかけで、それまでの人生ががらりと変わってしまうことがある。旅先で出会った雪男は、彼らの人生を思いもよらなかった方向に向けさせた。そこから後戻りできる人間はこの世に存在しない。その行きずりにわたしは心が動かされた。雪男は向こうからやってきたのだ」(p327)

私にもいつか「雪男」がやってくるのでしょうか。それともそれは、こちらから求めるものにだけやってくるのでしょうか。そんなことを考えさせられました。

はせ



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