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自分にも登れそうな気がしてきます、が…。――村口徳行著「エベレスト登頂請負い業」 

カテゴリ:本の紹介

「エベレスト登頂請負い業」(村口徳行著、山と渓谷社)を読みました。

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なかなか刺激的な題です。しかし、「ツアー登山でエベレストに誰でも登らせてあげます」というのを、著者がなりわいにしているというわけではありません。フリーの映像カメラマンとして、様々なエベレスト登山隊と一緒に登った同行記です。出版社がつけたんでしょうね、タイトル。

三浦洋一 (テレビ番組)、野口健(7大陸最高峰最年少)、渡邉玉枝(女性最年長)、三浦雄一郎(最年長、70歳と75歳)など…。一体著者は何回エベレストに登ったのでしょう。日本人最多は間違いないようです。

野口健についてはこう言っています。「 なにしろ山登りはてんでヘタで『何も考えてないヤツだな』と思ったが、その登ろうとするエネルギーや、行動力はたいしたものだ。なかなかこういった若者は珍しいと思った」。…後半部分はフォローしていますが、なかなか手厳しいコメントです。00年のエベレスト清掃登山についても「どうもインチキっぽいな 」とバッサリ。

エベレストは大衆化の一途をたどり、ノーマルルートからであれば、特殊な先鋭的クライマーだけの世界ではなくなっているようです。その点では「私でも登れるかも」と思わせます。しかし8000mを超える世界はやはり一歩間違えれば死に直結する危険な世界。日頃のトレーニングと、高度順化の緻密なタクティクスが重要と著者は強調します。

2千mちょっとの八ケ岳・赤岳鉱泉あたりでも頭痛がして高山病の症状が出る私のこと。どんなに頑張っても行けるのはベースキャンプくらいまででしょう。でも、行ってみたいなあ…。

はせ
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山から下りて入る店 20 「名水 気まぐれ喫茶」 

カテゴリ:山から下りて入る店

6月26日、大山北尾根を歩いた帰りに寄りました。

ヤビツ峠を越えた向こう側にある(宮が瀬のほうから見ると「こっち側」ですが)、山小屋「青山荘」に併設された喫茶店です。最初来たときは、こんな山奥に! とびっくりしました。

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 ↑手作りケーキ。コーヒーとセットで500円。

店内にはジャズのスタンダードナンバーが流れ、なんだか都会の喫茶店みたいな雰囲気。ここのママさんの娘さんがジャズシンガーなのだそうで、いつもその方のうたごえが流れています。

ここの湧水にあったコーヒー豆を選んで淹れているとかで、遠くからもファンが飲みに来るのだそうです。近くの湧水「護摩屋敷の水」を汲みに来る人や、ヤビツ峠にたくさん登って来る自転車野郎(女子)たちも寄るのかも…。

ママ手作りのりんごケーキ、大変おいしくいただきました。コーヒーもgood!でした。

【店の名】名水 きまぐれ喫茶
【所在地】〒257-0023 神奈川県秦野市寺山羽風1700 電話0463-75-2626
【山 域】丹沢・表尾根、大山
 木曜日定休

http://www.meisui-kissa.jp/cafe/index.html

はせ

久しぶりに14号鉄塔尾根から登り北尾根を歩きました――大山 

カテゴリ:山行 大山

6月26日の日曜、一人で大山に登ってきました。今回はいつものイタツミ尾根ではなく、地獄沢橋から14号鉄塔尾根を登り、北尾根を歩いて地獄沢橋に戻ってくる――というコースをとりました。

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 ↑北尾根。誰とも会いませんでした。

熊谷の気温が39.8だったとか聞いたのはつい2日前のこと。連日暑い日が続いていましたが、この日は比較的涼しく、すごしやすい一日でした。曇り空で直射日光も浴びなかったので、山を歩いていても快適でした。

14号鉄塔尾根はとても静かでした。ヤマボウシの白い花と咲き残ったツツジのオレンジ、そして鮮やかな木々の緑が目を楽しませてくれます。このまま誰とも行き会わないのかな、思っていたら、学生さんらしき男女15人ほどの集団が降りてくるのとすれ違いました。みんな手に手に地形図を持っているので、読図実践山行なのでしょう。

山頂に着くといつもながらのにぎやかな光景が待っていました。中高年やファミリーに交じって、若い女性の2、3人グループが目立ちます。山ガールブームいまだ健在、といった感じです。いい傾向ですね。山ボーイも少し見かけますが、まだ影が薄いです。

さて、下りは北尾根。やはり静かな世界です。深まる緑の中、ヤマボウシの白が印象的です。今度は誰とも行き会いませんでした。

はせ

↓続きに写真あります。

花咲く高原へ 

カテゴリ:山行 日光・尾瀬

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↑色鮮やかな千手ヶ浜のクリンソウ

 6月最後の週末を絡めて連続休暇を取り、青い空とトロピカルブルーの海を眺めながらオリオンビール島酒“於茂登”を“ぐびび”とやってまったり過ごす「南の島の至福の休日(6日間)」を秘かに企んでいました^_^;

 ところが、台風5号がフィリピン付近に発生し、八重山諸島を直撃するコースで北上してきたため、「慰霊の日」に飛ぶはずだった飛行機やホテルの予約をやむなく7月に振り替えざるを得ず、「沖縄八重山でまったり過ごすココロとカラダの休日」は延期となってしまいました(T_T)

 うたの日コンサート2011 in 石垣島観覧や石西礁湖でのシュノーケリングなど、2ヶ月も前から計画していた休日の予定が直前になって突然ぽっかりと空いてしまい、「まったりの休日」のはずが「がっかりの休日」となってしまったため、なんとか気分転換をはかろうと、6月24日の平日に奥日光の高原へ一人でふらりと出かけました。

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↑「クリンソウ」はサクラソウ目サクラソウ科サクラソウ属の植物です

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↑満開の「クリンソウ」の花園

 山行前日の夜にチェックした天気予報では「梅雨の晴れ間」ということだったのですが、当日は残念ながら期待したほどにはすっきりとした青空には恵まれませんでした。

 ちなみに、この日は、埼玉県熊谷市において、6月の国内観測史上最高気温を更新する39.8℃を記録するなど、関東地方の内陸部を中心に軒並み気温が上昇しました。

 標高1300~1400mの高原である奥日光でも、さすがに気温が高いと感じられましたが、終日爽やかな風が吹いていて湿度が低かったことや、ルートのほとんどが森の中(木陰)の平坦な道であったため、快適に歩くことができました。

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↑ミズナラやハルニレの森が広がる千手ヶ原(千手の森)

 「千手ヶ浜のクリンソウ」は、先月末に訪れたときはまだほとんど咲いていませんでしたが、今回はまさに「満開」状態で、赤や白、ピンクの色鮮やかな花々が楽しめました。

 今回は、その千手ヶ浜からさらに少し奥へと足を延ばし、千手ヶ原(千手の森)を抜けて、西ノ湖(さいのこ)を訪ねてみました。
 西ノ湖は、手付かずの原生林に囲まれた周囲1.5kmほどの神秘的な雰囲気の湖です。

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↑高原の湖を眺めながら沖縄のオリオンビールを飲み、気分的には南の島!(笑)

 西ノ湖へは1989年5月に訪れて以来22年ぶりで、前回はどういうわけか「山歩きが嫌い」な一人の女性(後の愚妻^_^;)が一緒でした。
 その当時は、まだ千手ヶ浜まで一般車両の通行が可能だったものの、特に観光的な施設があるわけではないため訪れる人は少なく、西ノ湖は知る人ぞ知る静寂な湖でした。
 
 その後、1993年に国立公園内としては初めて低公害(ハイブリッド)バスが導入され、1997年には千手ヶ浜と西ノ湖を結ぶ「千手の森歩道」が整備され、さらには、近年「クリンソウ」で千手ヶ浜が広く知られるようになったことなどにより、「西ノ湖」は多くのハイカーが訪れる場所へと変わっていきました。

 西ノ湖から小田代ヶ原へは1時間半ほどで歩ける距離ですが、山行途中の西ノ湖畔でアルコール含有飲料を口にしてしまい、心身ともにすっかり「行楽モード」に切り替わってしまったため^_^;、横着をして千手ヶ浜と戦場ヶ原南端の赤沼を結ぶ低公害(ハイブリッド)バスを初めて利用させていただきました。

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↑戦場ヶ原ではワタスゲの白い穂綿が見頃となっていました

 10分間ほどバスに揺られ小田代ヶ原に到着、ここで途中下車し、ここから小田代歩道を通って戦場ヶ原へと歩きました。

 残念ながらズミ(コナシ)の花は見頃を過ぎていましたが、天然記念物であるワタスゲの白い穂綿が一面に広がり、奥日光はいよいよ本格的な夏を迎えようとしていました。

 JIN記

 ↓続きに写真があります

『わたし』にこだわった個性的な紀行文――南木佳士「山行記」 

カテゴリ:本の紹介

「山行記」南木佳士(なぎ・けいし)著、山と渓谷社刊、1500円+税

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以前紹介した小説集「草すべり その他の短編」の作者による山の紀行文集です。

  ためらいの笠ケ岳から槍ケ岳
  何度でも浅間山
  つれられて白根三山
  山を下りてから

という、四つの章からなっています。

白根三山は、私は20年近く前に会の仲間S君と2人で縦走したことがあります。この本を読んで、まざまざと思い出しました。大樺沢の登りの暑かったこと、まとわり付くアブに悩まされたこと、山頂からの雄大な眺め、農鳥岳からの下り(大門沢)の長かったこと…。

笠ケ岳は私は登ったことがないのですが、昔赤木沢を登りに行ったとき、薬師岳~三俣蓮華~双六岳と歩いて小池新道を新穂高温泉へ下りてきたことがあります。それももう20年以上前のことなのですが。新穂高温泉は著者たちが笠ケ岳に登るときに登山基地にしたところです。高山植物を図鑑と首っ引きで名前を覚えながら歩いたあのときのことを、思い出しながら本を読みました。

東信州の総合病院の勤務医である著者のホームグラウンドは浅間山。それこそ「何度でも」登っているようです。草すべり、トーミの頭、蛇骨岳、仙人岳…、「草すべり」にも出てきたおなじみの地名を目にすると、私も登ったことがあるような気になってきます。いいなあ。私にとってのホームグラウンドは丹沢、大山。それも悪くないのですが…。

近ごろは丹沢や奥多摩、中央線沿線の低い山ばかりで「アルプス」と名の付くところは年に1度くらいになっている私ですが、もっともっと出かけたいなあ、と思いました。

はせ

チョー急登! そしてサプライズ! のち大雨――奥多摩・鷹ノ巣山 

カテゴリ:山行 奥多摩

5月22日、奥多摩の鷹ノ巣山に登ってきました。メンバーはヒロミさん、つるちゃん、私の3人。本当は峰谷から浅間尾根を登る予定だったのですが、電車の遅延で午前中1本しかないバスに間に合わず、急きょコースを変更し、東日原から稲村尾根を登りました。

稲村尾根は「奥多摩3大急登」のひとつに数えられているのだそうです。いったん下って川を渡り、沢沿いの道からやがて離れると稲村岩分岐まではジグザグの道。色鮮やかな緑のなか、急な登りをあえぎあえぎ進みました。

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 ↑東日原でバスを降り、いったん谷のほうに降りていきます。正面の突起状の岩山が「稲村岩」

分岐に着いて一休み。そこから稲村岩方面に登ってみましたが、頂上はすぐそこのように見えて実は本当の頂上までは岩の稜線をしばらく歩かないと行き着けないようなので、途中で引き返してきました。

分岐からヒルメシクイノタワまではさっきのジグザグと違って単調にたらたらと続きます。たらたらと続くのですが、平坦なのではなくかなり急な登りです。だからよけいに疲れます。

「ヒルメシクイノタワ」というのは、何度聞いても面白い、耳に残る地名です。急登に難儀した昔の山人たちが、ほっと一息ついてお弁当を広げた様子が目に浮かびます。

タワからはさらに急登がしばらく続き、ふっと鷹巣山の山頂に出ました。あいにく遠くの山は見えませんが、御前山だか三頭山だか、奥多摩三山の一角が雲の合間にすぐそこに見えています。しかしそれもすぐにかき消えて、我々の周辺もガスに包まれていきました。1700m。高山の雰囲気です。

各自お弁当を広げ、汁物とコーヒー用のお湯を沸かします。ここで私がザックの中からビールを取り出し2人に渡しました。凍らせたポリタンの水と一緒に保温バッグに入れてきたので、キンキンに冷えています。アルコールを飲まないヒロミさんにはノンアルコールビール。このサプライズに2人とも大感激してくれました。重い思いをして担ぎ上げた甲斐がありました。

下りは、石尾根を少し奥多摩方面に下ってから右に折れ、水根方面へ。天気が崩れそうなので、倉岳山方面の尾根筋ではなく、より短時間で下れそうな谷筋の道へ。途中からぽつぽつと雨が降ってきました。つるちゃんと、最近見た映画「八日目の蝉」について話している途中で雨は本降りに。久々に土砂降りの中を歩きました。濡れ鼠になってパンツの中までぬれて下りてきたのでした。

はせ

↓続きあり


怒りのハゲデブ親爺、戸倉三山を征く(怒)→(笑) 

カテゴリ:山行 奥多摩

 山行前日の晩、リーダーから足をくじいて明日は行けないとの連絡。残りは美女2人。

中腹からの眺め

 
 ウッシシ、両手に花?…いやいやお2人は海千山千。世の中そんなに甘くない。いじめられたらどうしよう(泣) 

山つつじがきれい

とりあえずき長丁場なので、水を多目に持ってくるように指示して、当日朝。檀れい似のTさんから「目覚まし時計を1時間間違えた」との連絡。

「じゃあ、すぐ来て下さい。待ってますので」

「すぐ行けない。まだなにも準備していない

…小学生だって明日が遠足のときは枕元に雨具、飴、ガム、水筒をリュックサックに詰めて寝る。まして、大人の山行では、当日何が起きるかわからないので、前々日か前日にはすべて準備して待つ。

大岳山
かっこいい鹿ハンター


すかさず、ミス目黒(のさんま)に連絡したが、電話もメールも無反応。当然時間どおりつくと思って携帯をザックに入れて移動中なのだろうと思っていたら、7時過ぎ、

 「今、起きましたあ~小学生みたい

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「バカヤロウ、お前らは小学生未満だ」といいたい気持ちを抑えつつ、今日は全体に2時間遅れながら、たとえヘッドランプをつけてでも当初計画通り歩くことを決意する。

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安全が確保される限りは、何があろうと計画を変えたくない。山に関してすべてを決めるのは、神でも仏でもなく、すべてリーダーだ。

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それにしてもリーダーの怪我をきっかけに、これだけ女性2人が緊張感を失い、だらけてしまうとは…
 改めて、ヤマニテのハーレム帝王の偉大さを痛感するばかりだ。

温泉に入って帰る


そして更に電車の遅れで、出発は2時間以上の遅れ。情けない(泣)

(S)

梅香る幕山散歩 

カテゴリ:山行 伊豆、熱海、湘南

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 東北大震災の2日後、幕山に行ってきました。最初は仲間がいましたが、さすがに皆自粛する中で、不謹慎の固まりで強行。しかし何とも暖かく穏やかな晴天で、3月13日は梅林の最終日。終わっていると思いましたが、結構、白梅も紅梅もきれい。

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 東北の悲惨をよそに、人出が多く、「全く電車ってちょっと揺れるとすぐ止まるんだから」とおばさんの高らかな笑いが響く。岩登りを楽しむ若者はサーフィンもするらしく、「ああいう津波こないかな」とあまりにも明るい超不謹慎発言。死者数が発表されていない直後という時期もあり、みなノーテンキだったが…

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 クスノキの純林が素晴らしい。陽を求めてこんなにも高く真っすぐ伸びるんだ。空の高さを感じさせる空間の広がりに感動。

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 帰りは温泉に入ったが、ガソリンスタンドの渋滞が始まっており、地獄はここから始まった。
 Sはガソリンタンク、ガソリン入手に関東を奔走し、いわきの身内を救出、その後永い永い東北支援にでかけるのだった。(S)

クリーンハイクで登りました―奥多摩・岩茸石山~惣岳山 

カテゴリ:山行 奥多摩

今年もクリーンハイク(労山の全国いっせい清掃登山)、無事終了しました。ヤマニテはSさん、つるちゃん、ツッキー、ヒロミさん、はせの5人が参加しました。中央区連盟全体は、前夜祭が16人、当日は35人の参加でした。コースは岩茸石山から惣岳山の縦走と、他に沢が2コースでした。

ゴミは総重量約20キロでした。登山者のマナー向上で山道はきれいになったとはいえ、35人が血眼になって集めると結構あるものですね。「事前の下見ではそんなに出るとは思わなかった」とヒロミさんが驚いていました。

高水三山はハイカーが多く、我々が背中に労山の「清掃登山」の旗を着けているので「ご苦労様です」「ありがとうございます」などと声をかけられました。

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 ↑ザックにこんな旗をつけて歩きました

川井キャンプ場のコテージに泊まってやった前夜の交流会も、談論風発、歌も飛び出して、大いに盛り上がりました。

クリーンハイクは他の会と触れ合う貴重な機会なので、私は楽しみに参加しました。たとえば、コテージの前のボルダリング岩でG山の会の人がスルスルッとハング状のルートを攀るのを見て目を見張り、また惣岳山の山頂でJ会の方が山菜天ぷらとそうめんを作って振る舞ってくれたのに感激し…といった具合でした。

今回歩いたのは、10年前に海外で亡くなった会員、Sさんと一緒に最後に登った山(惣岳山~棒ノ折山)を逆コースで一部歩くルートだったので、あれから10年か…、と私にとってはその点でも感慨深いものがありました。

帰りに途中下車で青梅線・河辺(かべ)駅前の「梅の湯」(840円)に寄りました。初めてだったのですが、奥多摩帰りに立ち寄るには便利で「結構使える」と思いました。そこの食堂で湯上がりに一杯やりました。割り勘で一人千円でした。「いも豚餃子」(焼き餃子、水餃子、揚げ餃子三種を制覇)のおいしかったこと! 「せんべろ」ならぬ「千円でほろ酔い」でした。

山の上で、J会の人たちとぜひコラボ山行を!と盛り上がりました。山の上で山菜の天ぷらパーティーをやろう、というもの。つるちゃんが大乗り気です。来春ぜひ実現させたいと思います。

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ロウソクをカラビナで立てる裏技!をやってみました。 

カテゴリ:街ニテ

「登山時報」って雑誌、皆さん読んだことがありますか? わがヤマニテが加盟している労山の機関誌です。その6月号の、笹原芳樹さん(カモシカスポーツ)のコラム「オススメ山道具」№113で、「震災に使える山道具」という記事が載っていました。

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そのなかに、「単独では立ちにくい仏壇用ロウソクもカラビナや大型のナスカンで挟めばガゼン安定します」との記述があったので、さっそくやってみました。

これはカラビナではなくて「大型のナスカン」の部類なのですが、やってみると、確かに立ちました。しかし、うーん、なんとか安定しているものの、ちょっと衝撃を与えるとずれて倒れてしまいそうな感じ。なにしろつるつるした蝋とすべすべの金属のカラビナですから、ちょっとした衝撃でパチンとカラビナが閉じて、ロウソクが跳ね飛ばされそうなんですよね。

「さらに缶カラ(内側が光るのがベター)に入れておけば安全です」と記事にあるように、もっと深めの缶に入れて使うほうが良いようです。

笹原さんのコラムは私、毎回楽しみに読んでいます。山道具屋さんの深い知識に裏付けられた最新の山道具事情が、軽妙で洒脱な文章で紹介されています。次回(7月号)も防災で使える山道具のお話だそうです。

はせ

花咲く山へ 

カテゴリ:山行 日光・尾瀬

爽やかな青空に鮮やかな新緑が映えます
↑爽やかな青空にシラカンバの鮮やかな新緑が映えます

 5月最後の日、梅雨の晴れ間に恵まれ、久しぶりにホームグラウンド(と自分で勝手に思っている^_^;)奥日光へ出かけました。

 今回の山行の目的山域は、中禅寺湖と戦場ヶ原の間(竜頭の滝の西側)にポツンと佇む「高山」(たかやま・標高1668m)です。
 
 「男体山」や「白根山」、「女峰山」、「太郎山」などの奥日光のメジャーな山々に比べれば、「高山」はさほど広く知られている山ではありませんが、豊かな森に包まれ、5~6月にかけては新緑とともにアカヤシオやシロヤシオ、シャクナゲなどの美しい花々が楽しめます。

登山口の竜頭の滝(ミツバツツジはまだ少ししか咲いていませんでした)
↑「高山」への登山口となる奥日光三名瀑“竜頭の滝”の豪快な流れ
 
 出かける前に日光自然博物館のホームページにある自然情報などで調べてみると、今年は花の時期が例年に比べてやや遅れ気味のようでしたが、「高山」の山頂周辺ではアズマシャクナゲが、また中禅寺湖の北岸~西岸ではシロヤシオやトウゴクミツバツツジが綺麗に咲いていました。

高山の稜線では“アズマシャクナゲ”が見頃でした
↑高山の稜線では“アズマシャクナゲ”が見頃を迎えていました

 梅雨の時季の平日ということもありますが、やはり震災の影響がまだあるのか、登山客やハイカーの姿は多くはありませんでした。
 多少語弊はありますが、「そのおかげ」で静かな山歩きを楽しむことができました^_^;

 中禅寺湖西岸の千手ヶ浜(センジュガハマ)では、人気の“クリンソウ”の群落がこれから本格的な花期を迎えますし、また戦場ヶ原でも、ズミ(コナシ)の花やワタスゲの穂綿などが間もなくシーズンとなりますので、今は静かな奥日光も次第にいつもの賑やかさを取り戻していくものと思われます。

紅白の花の競演
↑花々の競演 (トウゴクミツバツツジとシロヤシオ)

 下山後、時間が早かったこともあり、また小腹も空いていたので、久しぶりにコストパフォーマンスに優れ、なおかつ美味しい“ソースカツ丼”を食べようと、7年ほど前の冬に「戦場ヶ原クロスカントリースキー」のイベントに参加した際に、「地元の人の穴場のランチスポット」として、日光湯元ビジターセンターのスタッフの方にこっそり(笑)教えてもらった「浅井精肉店」直営(隣接)「トンカツ浅井」に足を運びました。

 実は昨年、愚妻とともに晩秋の奥日光を訪れた際にも立ち寄ったのですが、午後1時を過ぎていたにもかかわらず、店の前には長蛇の列が出来ていて、泣く泣く諦めざるを得ませんでした。

 今回は、行楽客の姿も少なく、昼食の時間帯からも外れていたので、大いに期待していたのですが、午後1時40分に店へ到着するも、残念ながらすでに「またのご来店をお待ちしております」の看板が掲げられていました (ToT)

 前回に続き今回も「ソースカツ丼」を食すことは出来ませんでしたが、気持ちを切り替えて、奥日光の“My Favorite Spa”の一つである森の中の露天風呂で汗を流すことにしました。

“貸切”だったので、こんなこともしちゃいました^_^;
↑“貸切”だったため、マナーに反しますがm(_ _)m、ついついこんなこともしちゃいました(^_^;)ヾ(-_-;)

 平日かつ時間が早かったせいか、幸いなことに入浴者は終始私ひとりだけ(結果的貸切状態)でした。
 新緑の森林浴&乳白色の硫黄泉浴の“ダブル入浴”を楽しみ、身もココロものんびり湯ったりまったり(´ ▽`)して、家路に着きました。

 JIN記

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鹿島槍を舞台にした山岳映画に出ていたんですね、児玉さん――「負けるのは美しく」 

カテゴリ:本の紹介

「負けるのは美しく」児玉清 集英社文庫

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俳優の児玉清さんが5月に亡くなりました。この本は、05年に刊行された児玉さんのエッセイ集です(08年文庫化)。

成り行きで受けた東宝映画のニューフェイスの試験に受かり、期せずして飛び込んだ俳優稼業。「自意識」が邪魔して映画界で大成せず、テレビドラマで成功したいきさつが語られます。黒澤明監督や大スター三船敏郎らとの思い出も。

松本清張原作の映画「黒い画集・ある遭難」(61)で準主役をつかんだ時の撮影エピソードに私は注目しました。鹿島槍を舞台にした山岳映画なのです。

世間で話題となっている著名な作家の作品の主役に近い役を演じるという大抜擢。まさに二年前までは夢想だにしなかった事の成り行きに、なにやら呆然としながら、一方で身のひきしまるような緊張と興奮を感じながら鹿島槍ケ岳を眺めたときの気持ちは今も鮮烈に甦る。北と南、双耳峰と呼ばれる二つの屹立する槍、この二つの槍をえも言われぬ絶妙なる曲線でつなぐ吊り尾根の美しさとその下に夏なお残る猿股雪渓の白き輝き。僕は一目惚れといった感じで山に見惚れたのだった。

急峻な赤岩尾根を行ったり来たり、3回ぐらい登ったような苦労をして映画を撮ったあと、カメラマン助手がフィルムの缶を誤って空けて感光させてしまい、撮影は一からやり直しに。そんな山での苦労を経て、著者はこう書いています。

この鹿島槍ロケの冷池(つべたいけ)山荘での数日間は生涯忘れ得ぬ強烈なるインパクトを僕にもたらしたのだった。俳優でなければ絶対に体験しなかったであろう撮影登山。どんなに疲れていても、どんなにこわくても、カチンコが鳴るとやり遂げてしまう俳優のまったなしのどたん場の不思議な力。夜空を見上げれば、今にも落ちてきそうな無数の星の輝き、清澄な空気、朝日と夕日に、また星空の下でのすばらしき山々。天候と光線の移り変わりによって時々刻々と色調を変化させる鹿島槍の南北の双耳峰の心を掬う素晴らしさ。鹿島槍の稜線に立つ者だけに見ることを許される立山と剣岳の姿は、絶景を超え魂を揺さぶる、まさに神顕(た)つ山といった感動を日々もたらしてくれたのだった。そんな中にあって僕ははじめて俳優はひょっとして僕の天命かと、思ってさえしまったのだった。

鹿島槍で「俳優開眼」、だったのですね。この映画、ぜひ見てみたくなりました。大変な読書家でもあった児玉清さん。私はテレビの「ブックレビュー」はあまり見たことがなかったのですが、本の紹介や解説の文章は自分の読書の参考にさせていただいていました。ご冥福をお祈りします。

※小●旬も、何十年か後に「昔、穂高で撮った『岳-ガク-』って映画で、俳優業が自分の天命だと悟ったものさ」などと述懐するのでしょうか。そして長●まさみも…?

はせ


「歩く」を考える その5 ――早坂暁「花へんろ」 

カテゴリ:本の紹介

「花へんろ」(夢の巻、風の巻、海の巻) 早坂暁著 勉誠出版刊

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昭和とはどんな眺めぞ花へんろ。

「中央」の目ではなく、四国遍路みち沿いの愛媛県「風早町」の庶民の目から「昭和の眺め」を描いた長編小説。NHKで桃井かおり主演で昔やっていた同名ドラマの小説版です。著者の父母をモデルに昭和の庶民、地方の視点で描いた私的昭和史ドラマ、とも言えるかもしれません。

映画監督の伊藤大輔や伊丹万作、夏目漱石や正岡子規、高浜虚子、中村草田男など、愛媛県ゆかりの人たちの名がたくさん出てきます。松山高校で校長排斥ストラキを指導する宮本顕治少年もちらりと登場。日米開戦に反対して反戦をとなえた元海軍大佐の水野広徳の存在は、この本で私、初めて知りました。

作者の早坂暁さんは、「あとがき」にこう書いています。

「四国遍路は約千二百年前に四国に生まれた佐伯真魚(さえきまお)こと空海が開いた修行の道です。日本列島に生きる庶民は、さまざまの生きる悩みを抱いて四国遍路に集まってきています。調べてみると、八十八カ所の札所には、数え切れないほどの遍路の記録が残されていますが、それを見ると、蒙古襲来におびえた鎌倉時代の大国難時にも、四国の遍路みちには、巡礼して歩くお遍路さんが絶えていません。(中略)私は四国遍路みちを、日本列島の“脈どころ”と考えています。四国の遍路みちは、日本列島の“脈”なのです。」

早坂さんは、生家近くの52番札所太山寺(たいさんじ)参道の遍路宿で、江戸時代から残される宿帳を見る機会があったといいます。そして「薩長の官軍が江戸の徳川幕府を討ちに東下していたとき」も、「国運を懸けて戦った日露戦争の明治37、38年」にも、「宿帳はちゃんと泊り客の名でうずまっていた」とした上で、昭和19年から20年にかけて宿帳が真っ白になっているのに驚き、

「恐るべし、千年以上絶えることなく足跡を残してきた遍路が、途絶えたのです。――日本列島の“脈”が止まったんだ……。 と私は身震いをしました」

と書いています。当時、徴兵拒否者やスパイが遍路に身をやつして逃げ込むのを警戒して、当局が、四国遍路を禁止・弾圧し、ついには遍路がゼロになったのでした。小説「花へんろ」にも、徴兵忌避の若者が登場します。

「昭和に入って十五年つづいた戦争、満州事変、支那事変、太平洋戦争は、さまざまな形で書かれてきたが、すべて中央から見た記録だ。私は、地方の一家族から見た十五年戦争を描きたいと思ったのだ。なぜなら、戦争で犠牲になるのは、地方の人たちだからである」(あとがき)

「『花へんろ』の戦後篇を書かなければ、昭和の眺めは一望できない」と、作者は続編を書く意欲を語っています。ぜひ書いていただきたいと思います。

はせ


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