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弱い心を持った普通の若者として加藤文太郎を描く――谷甲州「単独行者」 

カテゴリ:本の紹介

毎度、本の話で恐縮です。こんな本を読みました。

「単独行者(アラインゲンガー)新・加藤文太郎伝」谷甲州著、山と渓谷社刊、2500円+税

YK340270B[1]

昭和初期に活躍した登山家、加藤文太郎を主人公にした小説です。「構想30年」と銘打つだけあって、著者渾身の大作に仕上がっています。2段組で500ページ、ずっしり重いです。とても読み応えがありました。

昭和11年(1936年)1月、北アルプス槍ヶ岳の北鎌尾根で30歳で遭難死するまで、超人的な活躍をした加藤文太郎ですが、この小説ではごく普通の弱い心をもった若者として描かれています。

以前著者は「白き峰の男」という、やはり加藤文太郎をモデルにした小説を書いていますが、そちらのほうがずっと「超人」として描かれていたような気がします。

ガイドつき登山が当たり前だった当時、案内者なしで、しかもパーティーも組まない「単独行」という新しい登山スタイルで日本アルプスの山々を駆け巡る、その開拓者ゆえの苦悩もていねいに描かれています。

軽量なテントなどなかった当時のこと。彼のスタイルは、小屋から小屋へ、時には20時間も30時間も歩いてつないで縦走していくやり方です。それこそ超人的なスタミナとスピードだったようです。現代の装備と新素材の衣服で登らせてあげたかった!と思わず考えてしまいました。

当時よりずっと進んだ装備を使って山に行っている我々ですが、それで彼と同じことをやれるかというと、私には無理です。見習うべきは、その精神なのでしょう。開拓者のスピリットというか哲学というか。

なぜ「単独行」の加藤が山岳会のメンバーと4人パーティーを組み冬の槍ヶ岳に入ったのか。そしてなぜそのうち加藤ともう一人が北鎌尾根で遭難することになったのか。最初にその謎が提示され、最終章で説き明かされます。ミステリー的な手法というか、構成がうまいと思いました。風雪の中の登攀シーンも迫力満点でした。

新田次郎の「孤高の人」は高校の頃だったか夢中になって読みましたが、内容はほとんど覚えていません。「栄光の岩壁」と頭の中でごっちゃになってるし。でも同じ加藤文太郎をモデルにしていても、本書とはかなり違う人物造形だったような気がします。

次は加藤文太郎著「単独行」(「ヤマケイ文庫」でもうじき出るそうです)を読み、その後に「孤高の人」を再読、そして漫画「孤高の人」(坂本眞一)12巻読破――と挑戦してみようかな。加藤文太郎の挑戦に比べるとごく卑小な「挑戦」ですが…。

はせ


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姫次からの展望が最高でした――丹沢・黍殻山 

カテゴリ:山行 丹沢

23日、丹沢・黍殻山(きびがらやま)に単独で登ってきました。

上のほうは紅葉が進んでいて、地面に散った赤や黄色の葉っぱが美しく、とても風情がありました。

黍殻紅葉c101023
 ↑地面に落ちた紅葉がきれいでした

黍殻山(1272.8m)は、林に囲まれて展望がきかず、山頂を示す道標もありません。フェンスに囲まれた無人雨量計の立派な施設だけが不粋に存在を主張している、そんな地味で殺風景な山頂でした。小広い草原状なので決して暗くはないのですが…。

そのかわり蛭ケ岳に続く稜線上にあるカラマツ林の中の展望台、姫次(ひめつぐ/ひめつぎ)から見渡せるパノラマが抜群でした。足を延ばした甲斐がありました。

姫次から富士山a101023
 ↑カラマツ林の向こうに富士山がよく見えました

蛭ケ岳、檜洞丸、大室山が間近に大迫力でそびえ、檜洞丸と大室山の間のキレット(犬越路あたり)の向こうに富士山が、これまた大迫力で裾野まで見せて存在を主張しています。雪が積もったときここに来ると最高でしょうね。

展望といえば、八丁坂ノ頭あたりから木の間越しに見える丹沢三峰の稜線が、大山辺りから見るのと左右逆で、不思議な感じでした。反対側から見ているので当たり前なのですが。

姫次には、昔「ビバーク」と称してツエルトを張って一人で泊まったことがあります。たしか89年か90年の5月だから、もう20年以上前のこと。あの時も富士山がきれいに見えていました。現地に立ってまざまざと思い出しました。

あの時は翌日、蛭ケ岳~丹沢山~塔ノ岳~表尾根~ヤビツ峠と丹沢主脈を縦走し、ヤビツ峠から親切なお兄さんに秦野まで車に乗せて行ってもらったのでした。バス停のところで居合わせた若い女性2人組と一緒だったから乗せてくれたんだろうなあ、とそのとき思ったことまで思い出しました。

今回見学にと立ち寄った黍殻避難小屋は、新しくはないけど、清潔で広く快適そうでした。でっかいストーブが土間の中央にあるのですが、「煙が部屋に充満するので使わないほうがいい」と誰かの「落書き」が残してありました。一度泊まってみたいものですが、ストーブが使えないなら厳寒期は避けたほうがいいかも知れませんね。

小屋の外に別棟で水洗トイレ(!)があるのにはびっくり。使用させて頂きましたが、快適でした♪

はせ

↓続きに写真あります

錦秋の尾瀬 テント山行 

カテゴリ:山行 日光・尾瀬

10月10~11日、尾瀬の燧ヶ岳に行って来ました~!

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大清水周辺の紅葉

 メンバーはリーダーK宏、H巳、A子、Y子の四人。
まずは9日夜に豊田駅に20時集合、その後、22時に上毛高原駅で 私、Y子と合流、沼田健康ランドで6時まで仮眠しました。 沼田健康ランドは大部屋ですがベッドもあり、お風呂にもゆっくりつかってなんと一晩¥2000!安くてびっくりです。
 10日6時に沼田出発、途中のコンビニで買い出し&朝食をすませ、8時に大清水から 尾瀬沼に向け登りはじめました。途中、色付いた木々を撮影したりしながら順調に進んだのですが、 岩清水を過ぎ木道に入ったあたりからベテランH巳さんに異変が。 つるりつるりと滑って、尾瀬沼に着くまでに転ぶことなんと6回。擦り傷まで負ってしまいました。 はじめはH巳さんを笑っていた私やA子さんも次々と滑って転んでしまったのですが、尾瀬に数え切れないほど来ているリーダーK宏さんだけは無傷で12時に尾瀬沼ヒュッテに到着 。このときは、H巳さんはテントを背負うなど荷物の配分が大きかったので、リュックが重すぎたのだろうか、などと心配していたのですが…。

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三平峠への道沿いの紅葉

 テント場の受付もまだ13時からとうことで小屋の前のベンチでゆっくりティータイム。H巳さんとK宏さんは挽き立てのコーヒーや本場の中国茶、A子さんはドライフルーツなどのステキメニューを提供してくださったのですが、なぜかこの時はH巳さんのカップ麺とK宏さんの梅茶がものすごく美味しかった!!
 山ではなぜかちょっとジャンクなものが美味しく感じられます。

 尾瀬沼ヒュッテ裏のテント場は木立の中を走る木道が枝分かれするようにひとつひとつのテントごとの広いウッドデッキになっていて、雰囲気はいいし、テントは張りやすいし、でこぼこしてないし、傾斜してないし、最高でした。これも、リサーチして下さったK宏さんのおかげです。

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快適な尾瀬沼のテントサイト

 テントを張った後は転び疲れたというH巳さんをテントに残し、山の妖精であるだけでなく尾瀬の主でもあることが判明したK宏さんにつれられ、A子さん、わたくしY子の三人で尾瀬沼探索。
 私にとっては初めての尾瀬、広い葦野原と、青い空や雲、紅葉した木々が写りこむ尾瀬沼が美しく、黒澤明の映画でゴッホが描いた絵の中に入って行ってしまう話がありましたがなんだか本当にそんな感じで、自分が絵葉書の中に入ってしまったような気がしました。

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尾瀬沼湖畔 大江湿原を望む

 K宏さんはカメラを取り替えたりしながら盛んに撮影、A子さんも「今、どういう構図で撮ったんですか」「今、何を撮ったんですか」「ここの場合、空は入れない方がいいんですか」などと熱心に質問、山の会というよりまるでK宏写真教室のような。あまりにもK宏さんの構図をパクっているので、A子さんには「S山・パク・A子」という新しい名前がつきました。

 この時もときたま雨がぱらついていて、明日は晴れるといいね、なんて話していたのですが。小さな丘の上にある、尾瀬を拓いた長蔵さん一家のお墓にお参りしてから、4時にテントに戻ってK宏さんの野菜たっぷりキムチ鍋で夕食。なべ用に切ってパック詰めになった野菜や、ペットボトルに入ったキムチの元。山に来るようになってからこういう簡易食材を見直しました。便利で美味しい!ラジオをずっと聞いていてくれたH巳さんの「予報では明け方からは雨が上がる」という情報があり、降り出した雨の音を聞きながら19時に就寝。

 午前2時に起床して登るか否か最終判断することになりました。テント泊は4回目のわたくし、残念ながらこれまで眠れたことは無くこの日もだんだんトイレに行きたくなってしまいました。勇気を出してテントの外に出ると21時とはいえあたりは真っ暗、ヘッドライトの明かりをたよりに少し離れたトイレまでて森の中をくてく歩いているとだんだん昔のホラー映画「ブレアウィッチプロジェクト」のような気分に…。でも、トイレから出てほっとして空を見上げるとちょうど雨がやんで降るような星空や天の川が頭上をうめていて、感動してしまいました。結局、その後また雨が降り出し燧ケ岳はあきらめ尾瀬ヶ原までのんびり縦断と予定を変更。

 10日4時起床、キムチリゾットで身体を温めてからテントをたたんで6時に出発。尾瀬沼から沼尻までは本当に景色が素晴らしかったのですが、H巳さんは昨日以上に滑りまくり、転びまくり…、いつも愉快なトークを繰り広げるあのH巳さんがついには一言もしゃべらなくなってしまいました。私が「もう、合計何回ころびましたか?」と聞いても「わからない。数え切れない」とつぶやくのみ。沼尻では虹がでて、ようやく雨も完全に上がり、白砂乗越あたりの木道のない山道では転倒は無し。私たちを含め他の登山客も皆、木道でつるつると滑っていたので木道とトレッキングシューズはあまり相性がよくないのかもしれません。

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沼尻から見た尾瀬沼

 尾瀬沼の紅葉も美しかったけれど、沼尻から下田代までの峠を越える間の山の紅葉はすごかったです。すべての木々が黄色や赤に色付いていて足元は落ち葉が埋め尽くしていて、つたやかえでってこんなに美しかったのかと驚かされました。宮本輝の小説「錦秋」に出てくる蔵王の紅葉みたいで、蔵王に行ったことはないけれど小説の世界がちょっと近く感じられました。読んだときはピンとこなかったけど、宮本輝はこういう景色を描写したかったのかなぁ。

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峠周辺の紅葉はまさに錦秋の秋

 尾瀬ヶ原に着き木道が乾いてくるとH巳さんも滑らなくなり、逆に口が滑らかに。燧ケ岳を背に、至仏山を前に見て楽しくおしゃべりしながら木道をひたすら歩きました。空も秋晴れになり、K宏さんと弟子入りしたA子さんはまた撮影タイム。風に揺れる葦はキラキラひかり、池塘に浮かぶ羊草はかわいらしく、尾瀬って本当にいいところだな、と、ウキウキしてしまいました。滑ってぬれたお尻が乾く頃には山ノ鼻に到着、最後の長く続くゆるい登り道で息を切らし、雄大な至仏山を間近に眺めながら14時に鳩待峠に着きました。
 その後は、源泉なのに安くて空いている片品温泉のK宏さんの隠し湯でさっぱりしたあと、渋滞にははまったものの21時半に豊田着。いつもの定食やさんでおなかを満たして帰路につきました。

 燧ケ岳には登れなかったけれど、もし夜中に雨の中を無理して登っていたら誰かが滑ってケガをしていたかも。
山登りをはじめてからようやく一年たつかどうかというわたくしですが、あきらめるって大事なことなんだ、なんて思うようになりました。そんなことを、改めて考えた山行でした。

 Y子 (写真 K宏)

引き続き写真があります。御覧ください。

【那須山行余談】 激湯 「鹿の湯」 顛末記 

カテゴリ:山から下りて入る温泉

 山から下りた後、「せっかくだから、温泉に入って汗を流して帰りませう」ということになりました。
 那須茶臼岳周辺は、「山のいで湯」がたくさんあります。

 帰りのルート上にある「大丸温泉」には、流れる川が露天風呂になっている温泉宿があり、JIN(私)がその昔に入湯したときはナカナカ良いカンジだったので、では「そこに行こう」ということになりました。
 紅葉した樹林に囲まれた「大丸温泉旅館」に立ち寄ってみると、外来入浴は午後3時までで、入浴時間が正味30分間くらいしかないため、残念ながら「また今度」ということで、今回は見送りとなりました。

 「それでは」と仕切りなおし、そこから車で少し下ったところにある「那須湯本温泉」の「鹿の湯」に寄って汗を流すことにしました。
 「鹿の湯」は、古くからの湯治場で、建物もそれらしい雰囲気を醸していました。
 湯殿内は硫黄の臭いがたちこめ、白濁した湯は、湯温によって細かく6つの湯船に分かれています。
 
 とりあえず、まず初めに、一番低い湯温である「41度の湯」に入ってみます。
 まだ体が温度に慣れていないせいか、結構「熱く」感じられました。
 ここで少し体を慣らして、次のステージ「42度の湯」へ。

 体が順応してきたのが、もうそんなに「熱い」とは感じません。
 これに気を良くして、「43度の湯」と「44度の湯」を次々と「クリア」。
 残るは「46度の湯」、そして最高湯温の「48度の湯」の二つのみです。

 まずは「46度の湯」に入ってみます。
 小さな湯船には、すでに“先客”が2人ほど入っており、ゆっくり静かに湯船に身を沈めました。
 さすがに「熱い!」
 確かに「熱い!」
 「熱い!」が、しかし、我慢できない「熱さ」かといえば、そうでもなく、3分間ほど浸って「クリア」としました。

 さて、いよいよ、ファイナルステージの「48度の湯」にチャレンジです。
 これまでのステージの「湯」とは異なり、湯船の側には「砂時計」が置いてあり、湯船を囲むようにして、まるで「鹿の湯」の「主」(ぬし)のような常連と思しきおじいさんたちが、何やら神妙な面持ちで陣取っていました。
 湯船の中には、やはり常連と思しき“先客”のおじいさんが、一人でお湯に浸かっています。

 「いざ、勝負!」とばかり、私が「48度の湯」に入ろうとすると、それまで静かに黙って湯船を囲むように腰掛けていた「主」たちが、ほぼ同時に「こら!」、「駄目だ!」と口々に小さく叫んで、私を制止しました。
 「きょとん」とする私に、「主」たちは口々に「先に入っている人がいたら、湯船に入ってはいかん!」、「そこの壁に書いてあるから、よく読め!」などと諭します。

 私は「鹿の湯」入湯は今回が初めてだったので、そのようなルールはまったく知らなかったのですが、「48度の湯」は我慢できるギリギリの高温なので、少しのお湯の「ゆらぎ」でも体感温度が上がってしまい、我慢の限界を超えてしまうため、1人ずつゆっくり入ること!という「心得(掟)」が定められていたのでした。
 私がようやく事態を理解して「わかりました」と頷くと、「主」の面々は、「やれやれ、これだから‥」と言いたげなカンジで元の場所に戻りました。

 「心得(掟)」に従い、私は「48度の湯」の湯船の側に腰掛けて、“先客”が湯から上がるのを静かに待ちました。
 じっと湯船に浸かっていた“先客”のおじいさんは、砂時計の最後の砂が落ち切ったのを確認してから、ゆっくりと立ち上がって、そろりそろりと湯船から出てきました。
 おじいさんの体は、湯に浸かっていた部分が“真っ赤”になっており、軽度の火傷のような状態に(私には)見えました。
 それでも、そのおじいさんは(体中がヒリヒリと痛いに違いないと思うのですが)努めて平然とした表情をしています。

 「ううむ、これはもしかすると、かなりマニアックなあやしい趣味・趣向の類に挑戦してしまったかもしれない‥」と、ようやく気がつきましたが、もう後の祭りでした。
 さきほどの騒ぎで、「鹿の湯」の「主」たちは、次は私が「48度の湯」に入るものと決めてかかっています。
 「主」の一人は、「鹿の湯」ビギナーの私のために、頼んでもいないのに、ご丁寧に砂時計の準備までしてくれています。(ホントです)
 これはもう、「敵前逃亡」なぞ許されず、とりあえず一度は湯船に入らないと収まりがつかない状況となっていました。

 意を決して、先ほどのおじいさんのように、そろりそろりとした動作で「48度の湯」の湯船に足の先を入れてみます。
 これまでに入った「湯」とはまったく別次元の「熱さ」に身の危険を感じ、これ以上湯船に入るのをためらいましたが、周囲では「主」たちが、私の一挙手一投足に鋭い視線を浴びせかけているため、まさか足の指の「先っぽ」だけでお茶を濁すわけにもいきません。
 しかたなく、極めて遅々とした動作でゆるゆると湯船に体を沈めたものの、とんでもない「熱さ」が全身の皮膚を情け容赦なく襲ってきます。

 「超アツ」で、とても黙っておとなしく浸かっていられる温度ではありません。
 慌てて湯船から出ようとしましたが、先ほど頼みもしないのに勝手に砂時計の準備をした(してくれた)「主」が、「まだ砂が落ち切ってはおらんぞ」と言わんばかりに、砂時計を指差して、私が出ようとするのを鋭い眼で阻止します。(ホントです)
 「主」の眼力に押されて、いったんは上げかけた体を再び湯船に沈めましたが、我慢の限界を超えた「熱さ」に体が拒絶反応を起こし、エビのように身をくねらせながら立ち上がり、逃げるように湯船から転げ出てしまいました。

 湯船に全身が入っていた時間は、おそらく10秒にも満たなかったと思います。
 かくして、私の「鹿の湯」ファイナルステージチャレンジは、「秒殺」という結果に終わりました。
 激湯(ゲキトウ)「鹿の湯」おそるべし!です(笑)

 JIN記


「紅葉」と「露天」と「ランチ」の山行 

カテゴリ:山行 那須

 10月17日(日)~18日(月)に、那須の茶臼岳&朝日岳に登りました。
 参加者は、Yリーダー、Wさん、Mさん、Mさんの友人のゲストのTさん、JINの5人。
 実はこの山行、当初は7月に計画されていたものですが、一度目は雨、2度目は雷雨のおそれがあったため、その都度延期されていたものです。
 「三度目の正直」となる今回でしたが、初日はあいにくの曇り空となったものの、二日目は朝から昼ごろまで青空が広がり、気持ちの良い山歩きを楽しむことができました。

 茶臼岳周辺の紅葉は、例年9月下旬頃から色づき始めて、10月上旬から中旬頃が見ごろとされています。
 今年は夏の記録的な猛暑に続き、9月に入っても猛残暑が続いたため、関東地方の紅葉は例年に較べ遅くなる見込み‥との情報もありましたが、10月5日夜のNHKニュース(関東ローカル枠)で、「那須茶臼岳付近の紅葉が見ごろを迎えた」と報道されていましたので、ほぼ例年どおりの時期に見ごろとなったようです。
 ちなみに、今年の10月6日の茶臼岳付近の紅葉の様子はこちらです→姥ヶ平の紅葉 (栃木の紅葉Web Siteより)
 
 本山行が10月に延期となったとき、当初は10月24日(日)~25日(月)に実施する予定で宿を予約していました。
 さすがに10月下旬では、紅葉もすっかり終わってしまっていたところでしたが、参加者のMさんの“先見の明”により、サブの日程として10月17日(日)~18日(月)にも宿の予約をされていたため、一週間繰り上げての実施が可能となり、なんとかギリギリのところで紅葉を楽しむことができました。

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↑「紅葉」の三斗小屋温泉 煙草屋旅館

 茶臼岳周辺は落葉が進んでしまい、色はかなり失われていましたが、「三斗小屋温泉」の周辺では、まだまだ鮮やかな「紅葉」を楽しむことができました。
 「三斗小屋温泉」には旅館が2軒あり、今回は「露天」風呂がある「煙草屋旅館」に泊まりました。
 「露天」風呂は、旅館より少し高台にあり、西側の展望が開けているため、温泉に浸かりながら夕焼けを眺めることができる素晴らしいロケーションでした。
 夜は、残念ながら「満天の星空」とはいきませんでしたが、時折雲の切れ間からが顔を出し、ほんのりとした淡い光に照らされて、まったり静かに「露天」風呂に浸かることができました。
 もちろん翌朝も、朝陽に染まる山を眺めながら、「露天」朝風呂を楽しみました。

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↑三斗小屋温泉 煙草屋旅館の展望「露天」風呂 (夕暮れ時)

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↑三斗小屋温泉 煙草屋旅館の展望「露天」風呂 (朝)

 山行二日目は、朝から爽やかな秋晴れに恵まれ、隠居倉~熊見曽根~朝日岳にかけては、右に茶臼岳、左に三本槍岳を望む展望の尾根歩きとなりました。
 本来は山行初日に「ランチ」を楽しむ予定でしたが、茶臼岳山頂付近の道路渋滞により、初日は時間的に押してしまったため、「ランチ」は山行二日目へと変更しました。
 ヤマニテの“ランチの女王”こと山行リーダーのYさんプロデュースによる角館味噌仕立ての「きりたんぽ鍋」は、お肉も野菜たっぷりで大変美味しゅうございました。 (事前に分担して持ち寄った食材や調理器具などを、二日間、各自ずっと背負って歩いていましたので、美味しさも一入でした)

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↑朝日岳の山頂にて (左奥は茶臼岳)

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↑美味!特製きりたんぽ鍋の「ランチ」

 以上のとおり、今回の山行のテーマであった「紅葉」&「露天」&「ランチ」をしっかりとすべて楽しみ、下山後に那須湯本温泉の「鹿の湯」にてさっぱりと汗を流して、帰路につきました。
 Yリーダーはじめ、ご参加の皆様、大変おつかれさまでした。

 JIN記

↓続きに写真があります

怪しいコスプレ男か世紀の大冒険家か――「謎の探検家菅野力夫」 

カテゴリ:本の紹介

またまた本の話で恐縮です。こんな本を読みました。

「謎の探検家菅野力夫」若林純著、青弓社刊、2000円+税

謎の探検家[1]


本の表紙にこうあります。内容を紹介する一文です。

「明治末期から昭和初期まで、世界中を探検してまわった痛快な男がいた。その名は菅野力夫。日本がようやく国際化しつつあった時代に、シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米までをも股にかけて歩いた男の謎に満ちた生涯に迫る。」

ひげぼうぼうでヘルメットにサファリジャケット、ブーツを履いた探検家ルック。骸骨が散乱している中で骸骨を持っている絵葉書。――これを古書店で著者が見つけたのがそもそものきっかけだそうです。昭和38年に76歳で亡くなった菅野力夫(すがの・りきお、1887~1963)の足跡をたどり、著者は、菅野の遠縁の家の離れで膨大な写真と資料を見つけます。

「いかにも」の探検家コスプレスタイルは、絵葉書にして売るためだったようです。私製絵葉書が認可された1900年以来、「絵葉書」というものが爆発的な人気で、良く売れたのだそうです。自身の冒険譚を全国を講演して回って、その講演料で次の冒険に出かけるのが菅野のスタイル。絵葉書の売り上げもその足しになったのでしょう。まあ、資金提供者(パトロン)もいたそうですが。

当人の売り込みもあって全国の新聞に頻繁に登場したので、当時はよく知られた有名人だったようです。南極探検の白瀬矗中尉、エベレスト登頂の植村直己らと並んで日本を代表する探検家に数えられてもいいはずなのに、今では誰も知らないのは、探検記録、日誌、報告書などの類を残さなかったからだろう、と著者。

シベリア、中国、東南アジア、インド、南アフリカ、ハワイ、南米…を8次にわたって「探検」していますが、その中で山にも登っています。富士山、台湾の新高山(玉山、3952m)、ハワイのハレアカラ山(3055m)など。また「(インドの)シムラから国境を越えチベットを目指そうとするが、冬季のため断念」とありますが、当時夏季なら越せたのでしょうか?

写真や絵葉書など図版が多数。それだけで本書の半分くらいを占めます。当時の世界各地の様子が垣間見え、またコスプレ記念写真が笑えて、見るだけでも興味深い1冊です。

しかし国家主義運動の草分け、頭山満の書生をしていたという当人の出自もあり、「満州」・シベリア方面へはその意を受けた偵察も兼ねていたのでは、と著者も言うように、当時の政治や社会の動きと全く無関係に純粋な冒険心だけで世界各地を経巡っていたのかどうか、ちょっと疑問に思いました。

はせ

14号鉄塔尾根から登って北尾根を下山――大山 

カテゴリ:山行 大山

体育の日の11日、大山に単独で登ってきました。久しぶりに14号鉄塔尾根(仮称)から登って山頂へ。下りは北尾根を通ってバイクを停めておいた地獄沢橋に戻ってきました。

14号鉄塔尾根から富士山101011
 ↑三ノ塔の向こうに富士山

大山はすご~い人出で、大賑わいでした。山頂には二、三百人くらいはいたのではないでしょうか。まあ、高尾山と比べればたぶんぐっと少ないのでしょうが…。秋のハイキングベストシーズン到来ですね。連休前半が天気が悪かったからこの日に集中した、というのもあるかもしれません。

14号鉄塔尾根は静かなもので、途中誰とも会いませんでしたが、北尾根ではそれでも何組かと行き会いました。

山頂周辺からは富士山が、時々雲に隠れながらもよく見えていました。昨日までの雨が富士山でも雪にはならなかったのか、白く冠雪してなかったのが残念でした。東京方面の展望もかなりきれいに望め、初めて東京スカイツリー(らしきもの)が肉眼でも確認できました。

山頂の人込みはまだ我慢できますが、タバコを吸う人が意外に多く煙害に閉口しました。座るところもない状態なので、すぐに下山にかかり、昼食休憩は北尾根の途中の西側に展望の開けたところで一人静かにとりました。展望が開けているのは、山の斜面が崩壊しているからです。茶色く地肌が見えて痛々しい光景です。

西沢の頭あたりでプロ仕様の昆虫採集網を持ったおじさんに会いました。何を探しているかは教えてくれませんでしたが、この時期に成虫がいるはずのものを追っかけているんだけど、まだ出会えない、と言っていました。

この方、朝登り口ですれ違った人のようです。「(14号鉄塔尾根の)取り付きが分からなかったので今朝あきらめた」と言ってました。「作業用モノレールに沿って上がればいいのですか」と聞かれて「はい」とだけしか言わなかったのですが、取り付きはモノレールの始点より林道をさらに奥に行ったところに階段状についています。「こんどまた挑戦してみよう」と言っていましたが、別れた後で、もっと詳しく教えてあげればよかったと思いました。

大山の、にぎやかな山頂の姿が垣間見られ、静かな尾根歩きも楽しめた山行でした。上のほうは少し紅葉が始まっていました。JINさんの行った涸沢の錦秋の美には及ぶべくもありませんが…。

はせ

↓続きに写真あり

錦秋の涸沢 2010 

カテゴリ:山行 北アルプス

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2010 (2010.10.8撮影)

 紅葉を観に、10月上旬にひとりで北アルプスの涸沢に行ってきました。
 ご存知の通り、涸沢は山岳紅葉の名所として広く知られたところです。
 涸沢小屋のホームページによれば、「これだけの岩峰でこれだけ紅葉するのはこの穂高涸沢だけ」であり、涸沢の紅葉は「日本が世界に誇る山岳有形美」なのだそうです。
 涸沢の紅葉の美しさを表現する言葉として、「涸沢の紅葉見ずして穂高を語ることなかれ」というフレーズがあります。
 これは涸沢ヒュッテにおいて、お馴染みの名コピー「涸沢カールで会いましょう」とともに、かなり以前より使われ続けているものです。
 私は、その昔に「深田百名山完登」の一環として、「穂高」と名の付いた4座すべてのピークを一応踏んではおりますが、「穂高を語る」ほど、数多く登っているわけではないので、これまで畏れ多くも「穂高」を語ったことなどありませんし、また今後「穂高を語る」つもりも毛頭ありませんが、そんな私でさえも、「涸沢の紅葉見ずして‥」のフレーズには、思わず「ううむ、なるほど」と共感し頷いてしまうほどの“華やかな山岳美”が、涸沢の紅葉にはあります。

2
↑ナナカマドの「」、ダケカンバの「」、ソラの「」のコントラストが美しい

 私が初めて涸沢の紅葉を見たのは、もう14年も前のことになります。
 そのときは、愚妻(当時はまだ二十歳代!)とともに登ったのですが、彼女は山登りが嫌いだったため、「キレイな紅葉が見られる(と思う)から‥」となだめすかして、なんとか出かけました。
 当然ながら愚妻は、山登りの「素人」だったので、あまり長い距離を歩くことが出来ず、また山小屋に泊まることも、本人曰く「ゼッタイ、イヤ」でした。
 そのため、いわゆる普通の山小屋しかない涸沢には泊まることが出来ず、1日目は横尾山荘(カーテン付2段ベッド利用・風呂有り)に泊まり、翌日に涸沢を往復して、2日目は徳沢園(2名1室でテラス付きの個室利用・風呂有り)に泊まるという、山行としてはなんとも贅沢なものでした。
 愚妻の「ビギナーズラック」のおかげか、葉の色づきは良く、ナナカマドがまるで花々のように彩り鮮やかに燃えていました。
 今でも愚妻と紅葉狩りへ(たまに)出かけたりしますが、どこへ行っても「あの涸沢の紅葉には及ばない‥」とこぼします。

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1996 (1996.9.25撮影)

 「日本一」とも称(賞)される素晴らしい涸沢の紅葉を見てしまったので、そのイメージを壊したくないという思いから、その後しばらくの間は、紅葉の時期に涸沢へ登ることはなかったのですが、昨年秋に「久しぶりに紅葉の涸沢を見に行こう」と思い立ちました。
 単独行なので、前回果たせなかった涸沢ステイの山行計画(夕方に新宿から「特急あずさ」に乗り、初日は松本駅前のビジネスホテル泊、翌朝一番に上高地へ入り、徳沢・横尾を経て涸沢まで登り涸沢ヒュッテ泊、次の日に上高地へ下山)としました。
 紅葉のピークには少しだけ早すぎましたが、それでも爽秋の青い空の下、涸沢の紅葉は陽の光に映え、色鮮やかでした。

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2009 (2009.9.26撮影)

 3度目となる今年は、できるだけ紅葉のピークの時期に合わせて登ってみたいと考えました。
 そのため、9月中頃より、ネットの「紅葉情報」や涸沢にある山小屋のホームページ等などを利用して、紅葉の進みぐあいや見ごろのピーク予想のリサーチを始めました。(結果的に、ほぼ毎日行いました)
 紅葉の見ごろの時期は、年によってかなり前後します。
 ちなみに、昨年の涸沢の紅葉の見ごろのピークは9月末でしたが、一昨年の見ごろのピークの10月10日頃には、かなり落葉が進み色を失っていました。

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↑名物 涸沢カールのモルゲンロート(紅葉Special)

 今年は、9月に入ってもなお記録的な残暑が続き、季節の移り変わりが全国的に遅れ気味であったところに、彼岸以降は急に涼しくなったため、紅葉のピークの時期を予測するのは、かなり難しいものとなりました。
 とはいえ、いくら難しいからといっても、あまりに直前では往路の夜行バスの予約が取れなくなってしまうおそれもあるため、どの時点で今年の紅葉のピークの時期を見極めたらよいか相当に悩みました。
 ネットによるリアルタイムな紅葉進捗情報をベースに、仕事の予定や天気予報なども加味して総合的に判断し、最終的に山行日程を決定して登山計画を提出したのは、出発する日の4日前でした。(「さわやか信州号」の予約をした際、残りの座席はあと2席と言われましたので、ほとんどタイムリミットギリギリでした)
 このような人知れぬ努力?が実り、幸い良いお天気にも恵まれて、晴れて念願のピークの時期の紅葉を楽しむことができました。

 余談ですが、涸沢小屋で働く小屋番の方のブログ「涸沢小屋 小屋番の一休み」の10月10日の記事によれば、「標高2500M以上は散り始めです。あと早めに染まった樹々もやはり雨の影響で散り始めの樹々があります」と、一部の樹木が落葉を始めたとする記載がありました。
 10月9日は全国的に天気が悪く、涸沢周辺でも冷たい雨が降っていたようですので、今回私が訪れた10月8日が今シーズンの「涸沢の紅葉の見ごろのピーク」であったようです。(予想は「的中!」でした)

 また、10月10日にYAHOO!JAPANのニュースにて配信された産経新聞ニュースでは、「今年夏の涸沢は好天に恵まれたこともあり、ナナカマドやダケカンバが鮮やかな赤や黄色に色づいた。涸沢ヒュッテの山口孝社長(62)は『この6、7年で一番いい紅葉ではないか』と話す」と報道されておりましたので、どうやら今年の涸沢の紅葉は、なかなかの“当たり年”でもあったようです。
 
 JIN 記

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水で戻してもおいしく食べられました――山の行動食にアルファ米 

カテゴリ:街ニテ

例えば2泊3日の山に行ったとき、3日目の昼食(行動食)は皆さんどんなものを持って行きますか? おにぎりを食べたいところだけど、3日目だとさすがに賞味期限切れ。特に夏場はアウトですよね。

菓子パンかカロリーメイト、ソイジョイ、スニッカーズ、ウィダーinゼリーあたりでしょうか? カップ麺という手もあるけど、お湯を沸かす手間が必要ですよね。

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 ↑これは尾西食品の製品。他にいろいろなメーカーから出ています。

先日の白馬三山縦走のとき、私はアルファ米の携行食を持って行きました。いままで「テントの中で食べる共同食」としてアルファ米を食べたことは何度もあったのですが、今回初めて個人食として携行。しかも「水で戻す」やり方にチャレンジしてみました。

昔はアルファ米というと、ちょっと独特の臭みがあったものですが、今や全く気になりません。しかも五目飯にわかめご飯、赤飯、おこわ…とメニューも豊富です。今回、私はピラフと五目飯を持っていきました。昼食休憩のひとつ前の休憩時に水を入れてチャックをしておきます。お湯だと15分なのですが、水だと60分かかります。歩いているうちに出来上がり! というわけ。

結果としては、満足のいく出来上がりでした。水で戻してもおいしく出来ました。やはり山の上では米の飯が食べたいもの。使う水もほんの少しで済むし、山の携行食として「これは使える!」という感じです。今後大いに活用しようと思った次第です。ただ、水を入れるときに別袋の調味粉末を入れるのタイプの場合、全部入れるとしょっぱ過ぎました。好みに合わせて調節したほうが良いいようです。

はせ

北海道の雪山を舞台にした猟師と狼の死闘――熊谷達也「銀狼王」 

カテゴリ:本の紹介

「銀狼王」熊谷達也著、集英社刊、1400円+税

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時は明治30年。北海道にまだオオカミが生息していたころのお話です。主人公・二瓶は、仙台藩白石領主お抱えの山立猟師でしたが、蝦夷地に渡ってきて今は単独でヒグマやオオカミを追うのを生業としています。

「銀色の毛並みの巨大な体躯の狼」の存在を日高・新冠のアイヌの古老に聞かされ興味を抱いた二瓶は、日高の山中にその「銀狼王」を追うことになります。

妻と娘を死なせてしまった過去を持ち、そのことが心の負い目になっている二瓶。内地にいたころは、猟に出るときは水垢離を欠かさないなどの山の神への礼を欠かさなかったのに、いつしかそれも怠るようになっていました。

単独で行動していると思われた銀狼王には、実は家族(妻と子)がいました。いつも一緒に行動してきた老猟犬「疾風」をその子らに殺され、二瓶の心に復讐の火がつきます。

一方、銀狼王のほうも、二瓶に妻を鉄砲で撃たれ、大胆な反撃に出ます。雄大な雪の北海道の山野を舞台に、人間とオオカミとの駆け引き、文字通りの死闘が始まります。

「相剋の森」などマタギ三部作で知られる著者の久々の猟師物。今度はオオカミが相手です。「そうやって乱獲するからオオカミが絶滅して、生態系が狂うんじゃん!」と突っ込みたくなりますが、それは現代に生きる我々だから。無益な殺生にしか見えない猟も、当時の人たちにしてみれば、家畜を守るなどの死活的な必要性があったのでしょう。でもオオカミを死に絶えさせないでほしかったなあ。

はせ


風邪全快間近。「リハビリ」ハイク――秦野・頭高山 

カテゴリ:里山ニテ

風邪を患って1週間。なんとか「治った」と思えたので、3日の日曜日、近所の頭高山(ずっこうやま、303.4m)に登ってきました。風邪だったのか何だったのか、医者には掛かっていないのでよくは分からないのですが、おなかに来て体がだるく寒気がする症状でした。

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↑頭高山山頂の東屋

久しぶりに山道を歩いて、ちょっと足がふらつく感じでした。山頂の近くまで車道が来ていて、原付バイクで乗りつけたので、「登った」というほど登ってはいないのですが…。

来週10日に「県民ウオーキング大会」というイベントがあるらしく、そのコースを示す看板というか札が至るところに掛かっていました。たくさんの人が来るのでしょうね。当日にぶつからなくてよかった。

みなさまも風邪にはお気を付けくださいませ。秋山のベストシーズン、山に行けなくならないように。

ではまた。

はせ

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道の駅安曇野松川「寄って停まつかわ」――山から下りて入る店15 

カテゴリ:山から下りて入る店

道の駅安曇野松川「寄って停まつかわ」

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昨年剱岳の帰りに寄り、今年また白馬岳山行の帰りに昼食に寄りました。道の駅安曇野松川の中にある売店が「寄って停まつかわ」。そこの食堂です。

ここの食券券売機は、券を買った時点で厨房にデータが直送されるようになっていて、食券を窓口に出す必要がありません。そのまま券を持って席で待っていれば「○番さん、ラーメン出来ました!」とか呼ばれる仕組みです。最近ファミレスなどで増えてますよね。

我々は去年経験済みだったので、戸惑わずにこのシステムに乗れたのですが、初めてのお客さんは窓口に券を持参してそのつど「データ直送式ですので券は出さなくて持って待っててください」と係のおじさんに言われていました。

時間短縮と省力化のためのシステムとはいえ、それにしても「早っ!」と驚くくらい早く注文の品が出てきました。我々が来る前から予知していたかのように。私は「味噌ラーメンとチャーハンセット」800円を頼んですぐトイレに行ったのですが、出てきたらもうテーブルの上に品物が来ていたのでした。

松川村は昔からすずむしの里で知られているそうで、「寄って停」の前にはイメージキャラクターの「りん太くん」の石像が立っていました。

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【店の名】道の駅安曇野松川「寄って停まつかわ」
【所在地】長野県松川村細野5375-1  TEL:0261-61-1200
長野道豊科ICから18km25分
【山 域】北アルプス・後立山連峰ほか
【営業時間】午前10:00~午後6:00
(食堂は5:30でオーダーストップ)
http://www.vill.matsukawa.nagano.jp/06/020000.htm

はせ

山男のモテ期バブルは崩壊寸前か?――鈴木みき「あした、山へ行こう!」 

カテゴリ:本の紹介

「あした、山へ行こう! 日帰り『山女子』のすすめ」鈴木みき著、講談社刊、1200円+税

鈴木みき明日

「体力がないから、道具がないから、時間がないから、こわいから、お金がないから、愛がないから?」と山に行くのをためらっている女子の、背中をそっと押して「ダイジョーブ、ダイジョーブ」「あした、晴れたら山に行ってみましょうよ!」と勧めるコミックエッセイです。

「山友を見つけよう!」の章では、山を知らない家族や彼氏を誘うと、何でも言いあえる仲だけに逆にギクシャクすることも…、とした上で「理想的なのは、もともと山に行っている人に(同行を)頼むこと」と勧めています。

「最近この需要が高く、登山経験者はひっぱりダコ。しかも山で頼りになるとくりゃ、モテることモテること」「山男、人生初のバブル期。しかし山のことは分かるが女ゴコロはわからない不器用な男子ばかり」「バブル、長く続くといいね」だって。

そういえばわが会の男子たちも、新入女子会員の頼れる先輩としてソンケー(?)されていたのですが、最近ではやれ鼻毛が出ていておじさんくさい、やれシャツのすそがズボンにしまい込まれていてダサい、などと手厳しく言われています。バブル崩壊でしょうか。

後半はお薦めの山です。ロープウエーで登れる山(千畳敷、八ケ岳・茶臼山…)、何度でも登りたくなる「お百度山」(高尾山、御岳山、大山)、時間がないときのタイムトライアル(弘法山、天覧山、鎌倉・天園ハイキングコース)…。

弘法山の項には、登る前に「チーズケーキのおいしい店で『しらはまチーズケーキ』をゲットせよ」とあります。私、秦野に住んで5年になりますが、この店は知りませんでした。今度休みの日に探して、弘法山にケーキ持って登ろうっと。

はせ


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